嫌い嫌いも好きのうち

君を見つけ出した時の感情がこの五臓六腑を動かしてんだ

思い切ってジャニーズが嫌いだった理由を書いてみる

Mステを見て気になったこと。

とあるアーティストさんのトークパートの時、そのアーティストさんのすぐ後ろのカメラに抜かれる位置に座っているジャニーズグループのメンバー2人がお喋りをしていた。それは私には2人の世界に入っているように見え、少なくともそのお喋りをしている間アーティストさんの話は聞いていなかった。

その光景を、私は「不快」だと感じた。アーティストのトークパート中に、今まで幾度となく出ている番組であってその位置にいたらカメラに抜かれていることぐらいわかりきっているはずなのに、堂々とお喋りをして話を聞いていないという態度が。

これが担当グループだったらこうは思わなかったかもしれない。担当には「好き」という感情が大前提にある分甘くならざるをえない。同じようなことを担当がしていたら「仲良しだな」としか思わず、トークを聞いていないということに着目することがなかったかもしれない。Twitterでその二人のコンビ名で調べてみると、やはり「かわいい」「何を話しているのだろう」という感想ばかりであった。

 

久しぶりにジャニーズに不快感を覚えた。今や関ジャニ∞とV6の掛け持ち、Jフレ復活祈願人間、とりあえずジャニーズがでる歌番組は見てみようというスタンスになっているが、8か月前ぐらいまではジャニーズがでてても進んでTVを見るような人間ではなかったし、3年ぐらい前になるとジャニーズが出ているとチャンネルを変えるレベルのジャニーズアンチだった。とにかく嫌いだった。

ここからの話はジャニーズをとにかく避け続け、偏ったイメージしか持っていなかった時であり、私の性格が偏屈で固まった思考しかできてなかった時の話であることをご了承していただきたい。

なぜそんなに嫌いだったかというと、簡単に言えば「気に食わなかった」のである。演技、音楽、どれでも手を出して、一個を極めていないスタイルが気に食わなかった。俳優として演技を極めている人を差し置いて、演技力がそこまであるとは思えないのに主演を務める。CDを出せば必ずオリコン上位にランクインする。それを実現させる「ジャニーズ」という冠が憎らしかった。「なんでこんな棒読みの人が主演なのだろう」「この音楽が2位で、多種売りをしているジャニーズの方が1位で評価されてしまうのだろう」何度も思った。一個のことを極めていないことを「中途半端」だと決めつけていたのだ。おい、コイツ今は主演映画を公開初日の一番早い時間に見に行き、CDが1位だと大はしゃぎしているぞ。

ヲタクの存在も少なからずある。冒頭で述べたことに対してもヲタクは許してはしゃいでいる。なんでも許してしまう。CDは複数枚買う*1。ヲタクの悪行はとても目についていた。有名なので言えば駅構内での土下座とか。理解しがたい行動を起こすヲタクが不快だった。おい、コイツ今はあんなに不快に思っていたジャニヲタになっているぞ。

どうしてこんなことがジャニーズには許されるのかといったらまぁ顔だろうという結論に辿りつく。それがまた不快度を加速させていく。誰だって「世の中顔がすべて」なんて素直に認めたくはないのだ。ブスだって人権が欲しい。そして3年前までの自分はジャニーズがかっこよく見えていなかった。「え、なんでこの人にこんなにファンがいるの?カッコイイと言われているの?」と思っていた。とにかくイケメンの基準が高かった。たぶん、イケメンの基準値はタッキーぐらい。そのぐらいイケメン基準値が高かった私は、その基準値に達していないジャニーズがどうしてそんなにキャーキャー言われているのか理解できず、「理解できない」がそのまま「不快」という感情になった。今ジャニヲタとなり、担当グループのメンバーにカッコイイを言い続けているが、イケメンの基準値が下がったという自覚はある。これは自分のジャニーズフィルターがかっこよく見せているのだなと思うことがある。

 

このような理由でジャニーズが嫌いだった。そんな嫌いを高校進学を機に「ジャニーズを避ける」という行為に意地になっていた自分をやめたことにより払拭させていった。だからといって「ジャニーズに何か意識を持つことをやめる」ということなので、好きになったわけでは全くなかった。そうして過ごして2年ほど経ったときに突然渋谷すばるに出会い惹かれ今に至るわけである。これを書いて嫌いだったあの頃を思い返してみると、よくこれを全部消し飛ばせたなと驚くと同時に、私にとっての渋谷すばるの衝撃に恐れるばかりである。ジャニーズを好きになれた今とっても楽しいので自担に大大大感謝である。

 

この嫌いだった理由に「それは間違っている」と反論されても「偏りすぎている」と批判されても「その通りでございます…」としか言えないので勘弁していただきたい。昔の自分はどうしようもなく偏屈な馬鹿だったのだ。

こんな記事書いて刺されないか不安だけど、一度書いておこうと思っていたアンチ時代の話でした。

*1:複数枚買いが私はとにかく嫌い。多種売りでも1枚を厳選して買う。一度も再生されないディスクが存在することが許せない。もっと言うなら音楽業界はもう配信制にシフトして構わないと思っている

渋谷すばる初主演映画

味園ユニバース初回限定盤をみた。

味園ユニバース 初回限定 [DVD]

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私がファンになったのは2014年末のことなので、映画初主演を務めることも、その主題歌でソロデビューすることもすでに決まっていた。その後のロッテルダムでのライブも、好きになって日が浅く、それに対して感情を抱くところまで自分は追いついていなかった。要は、それがどれだけ素晴らしいことで、誇らしいことなのかわからなかった。

渋谷すばるという人物を知っていくごとに、彼が映画の仕事をうけたことが信じられなくなっていった。音楽に拘っていた彼が、なぜ音楽映画でその主題歌でソロデビューということがあったにせよ映画の仕事をうけたのだろう。

そして渋谷すばるにとってこの仕事はプラスになっていたのだろうか。笑顔が少なかった味園期のすばるくん。テレビでの態度が話題となり謝罪文を書く騒動にもなった。今の野球少年のようなすばるくんはニコニコしていて、楽しそうである。味園期のすばるくんは楽しかったのかな。そんなことを思ってしまっていた。

そんな疑問もモヤモヤも、全部このDVDが解決してくれた。このDVDを見て抱いた答えは人それぞれだろう。空白だらけの物語である味園ユニバース。空白を埋めるのも、そのままにしておくのも、選択肢は私たちにある。

私は味園ユニバースに出会えてよかった。渋谷すばるが味園ユニバースと出会えてよかった。そう思っている。

 

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味園ユニバース、ありがとう。

掛け持ち宣言

 

これはFNSうたの夏まつりでのV6の「Wait for you」のパフォーマンスが終わった直後の私のツイートだ。

 

少し前からV6という存在が気になっていた。はてなブログを始め、ジャニーズカテゴリーを周回するようになってからよく名前を見かけていた。20周年を迎え勢いがある、ということをひしひしと感じていた。その頃のV6のイメージにはっきりとしたものはなかった。情報として「おじさんなのに踊っている」ということを知っているぐらい(実際にパフォーマンスは見ていない)。V6のメンバーも言えなかった。顔はみんな知っていたが、顔と名前まで一致していたのは俳優の岡田君、あさイチのイノッチ、伊藤家の食卓の三宅さんだけだった。

関ジャニ∞からジャニヲタになった私は、他のグループについて興味を持つことが多くなった。関ジャニ∞と同じように、他グループにもそれぞれの歴史があって、それぞれの個性が集まっていて面白いことがわかったからだ。

だから、V6が出たVS嵐を見ることは自然な流れだった。V6というグループはどのような雰囲気なのかを知りたかったし、「最強のシンメ」と言われる剛健コンビとは一体何なのかを知りたかったからだ。

こうしてVS嵐を見終えた私はこうなった。

三宅健さんがかわいい。この事実に気づいたのである。伊藤家の食卓にいるお兄ちゃん、というイメージしかなく、喋っているところも動いているところもまったく覚えていなかったのだ。驚いた。そしてメンバーからあふれる平和なオーラ。嵐をつい応援してしまうお兄さんたち。今までにない関係性を見た。これが何もかものきっかけだった。

 

VS嵐以降、V6のことを気にするようになった。Wikipediaを見て顔と名前を一致させ、大体のV6の経歴を知った。ただこの時はまだ、今まで持ち合わせていなかった一般知識を揃えただけであり、他に気になっているグループと大差なかった。

 

7/4、THE MUSIC DAY 音楽は太陽だ。が放送された。シャッフルメドレー。関ジャニ∞のメンバーたちばかり見ていたのでそこまでV6に着目していなかった。印象に残ったのは堂本剛くんだったし。(ただ録画したのを見返すと、無責任ヒーローがぴったりな三宅健ちゃんがベリーキュートアイフィールハッピーだった)

関ジャニ∞の茶番劇にそれでも楽しそうだからいいやという私なりの結論を出したあとに出てきたのはV6だった。

踊るV6を初めて見た。衝撃だった。関ジャニ∞は歌番組ではめっきり踊らないから、新鮮に感じたというのもあるかもしれない。とにかく平均年齢がアラフォーなおじさんたちがこんなにキレキレに踊るものかと驚いたのだ。

MUSIC DAYのV6メドレーのトリを飾ったのはアルバム「SUPER Very best」の初回限定盤Bのみに収録されている「Wait for you」。そう、冒頭で語った曲だ。まずこの曲の冒頭で森田さんの歌声を認識した。「こんな甘い声なの!?」。そう驚いた。まるで機械で編集されたような声。見た目とのギャップが凄い。イノッチの高音はクラッとした。もともと男の人の高音、裏声が好きなのだ。「あさイチのキャスター」でしかなかった井ノ原快彦の歌声は響いた。歌声、衣装、ダンス、フォーメーション、そして何より曲自体が私に大きな衝撃をもたらした。20周年に「あの上 もっともっと上」と歌うかっこよさ。何度も何度も繰り返し見た。

 

それからV6を本格的に調べるようになった。三宅健さん出演回のアウトデラックスだったり、伝説の学校へ行こうの修学旅行の夜だったり、歌番組でのパフォーマンスだったり。調べていくうちに奥の深さを知る。20年の歴史だ。追いつけない、掴めない。それでも感じたのは、V6の関係性は家族に例えるのにぴったりだということだ。親のように見守る年上のトニセンがいて、無邪気な年下のカミセンがいる。坂本さんがお父さんなのも、長野さんがお母さんなのも納得だった。関ジャニ∞は例えるなら兄弟、地元からの親友で、プライベートも一緒にいるぐらい仲良しだ。それと比べるとそこまでお互いに干渉せず、だからといって突き放すことはなく、ほどよい関係性でいるところが「家族」だった。だから私はVS嵐の時、平和なオーラを感じたのだろう。

 

この頃からネットの恩恵を借りてではあるが、健ラヂを聞くようになった。週レギュラーの番組を意識して視聴する。好きでなければしないことだ。私はこの時にはもう完全にV6のことを好きに、見続けていたいという気持ちになっていたのだろう。

 

だからチラつくのだ、「担当」という言葉が。

 

 V6を担当グループにしようか。そんな考えが浮かぶようになった。しかし私の答えは「NO」。それはまず私の知識量が圧倒的に足りないというものがある。「担当」を名乗るからには、そのグループや人に対して他担より知っていなければならない。これが私の考えている担当論だ。担当とは、その人についてより知っている人が名乗る言葉である。

20年の壁は大きい。それに、きっとファン層に原因があるのだろう、V6のエピソードや経緯などを細かく記しているサイトが見つからなかった。そのグループの人となりを細かく知っているわけではない。そんな人間が果たして担当と名乗っていいのだろうか。そういう思いで担当と呼ぶのもためらった。この熱は一時的なものと思っていたというのも理由にある。

 

ただ、FNSでのWait for youを見た時、私はなぜだか泣きそうになった。前見たときよりも、彼らが歩んできた20年間を少しだけわかるようになったからかもしれない。一人一人についてより見るようになったからかもしれない。MUSIC DAYの時はただただ圧倒されるだけであったこの歌が、今回は20周年を迎えた彼らが歌っていることに、20年間V6というグループが存在していることに、有体な言葉を使えば「尊い」と思ったのだ。

鼻の奥がツンとした。こみあげてくるものがあった。「彼らをずっと追いかけていたい」、そう思った。「担当にしたい」、そう思ったのだ。

 衝動的だった。気づいたときから担当だった渋谷すばる関ジャニ∞の時には浮かばなかった。「担当にしたい」と思うことが自分にあるとは思わなかった。

だから私は、FNSを見た直後に掛け持ち宣言をしたのだった。

 

 

 

しばらく経ったあと、悩んだ。あまりにも突発的な宣言だったからだ。担当にするにしても、この20年間の差を詰めるのはそれなりの覚悟がいる。渋谷さんは、それこそ予備知識もないままの一目惚れで、これを担当と言わずになんと言う、ぐらいすぐに私の真ん中に入ってきた。だから悩むことなんてなかった。

お茶の間という選択肢だってある。ただでさえ関ジャニ∞だけでも情報量の多さについていけなくなる時があるのだから。今私をV6に突き動かしている原動力は知識欲だ。彼らを知りたい。その一心で動いている。では知識欲が満たされたら?熱は冷めるのだろうか?そもそも担当ってなんだろう。思考がぐるぐる回った。

 

わからなくなった私は、一旦自分のことを振り返ってみた。初めて自力で好きになって、応援していこうと決めたのはSPYAIRというロックバンドだ。ライブを見た瞬間、一目惚れ。ジャニーズを好きになった今でも大好きだし、自分の芯である存在と思っている。

次に好きになったのはUNISON SQUARE GARDEN(以下ユニゾン)だった。ここにヒントがあった。ユニゾンのことは、オリオンをなぞるの時から知っていた。高校に入ってロックバンドを聞くようになってからは、オリオン以外の曲もポツポツと聞いて、好きだなと思っていた。そんなユニゾンに熱を帯び始めたのは去年の夏ごろだった。きっかけは何だろう。斎藤さんがポリープから復帰したというニュースだったか、ツアーで地元にくると判明してからだっただろうか。Youtubeで曲を探して何度も聴いたり、5thアルバムを予約して、それが届く前にTSUTAYAで今までのアルバムを全部揃えた。なんとも曖昧に、ぬるっと自分のなかに入ってきた。いつの間に、本当にいつの間にSPYAIRと同じぐらいの熱量を帯びて好きになっていた。

 

きっとV6もそういうことではないのか。スタートの熱量が小さくても、このFNSまでの間で確実に私の中に入ってきていたのだ。既に私はV6のことが好きになりきっていたのだ。だからきっと、担当と名乗ってもいいんだ。今からゆっくりとでも、確実に差を詰めて追いかけていけばいいんだ。そう思った。

 8/1にNHKで放送されたSONGS |  第349回 V6で、森田さんが俳優として大きなプレッシャーを背負う岡田くんに向かって「こうやって(V6で)集まってるときくらいは、何も考えずに笑っててほしい」と言い、三宅さんは「ここにいるときは良くも悪くも「岡田」だからな!」「お前は俺たちの呪縛から逃れられない!」と言った。それを受けた岡田くんは「そんな言葉が聞けるなんて泣けるよなぁ」「14の時から知ってるから。こんなに頭の上がらない現場ないもんね」と返す。

この関係性が好きなのだ。個人個人、それぞれの才能を生かした場所で仕事をする。ただ6人で集まったときは家族になる。その家族を私は眺めていたい。ずっと見ていたい。だから私はV6を担当グループにすることに決めた。

 

 

 

だからと言って、関ジャニ∞の熱量は冷めたの?と聞かれたらまったくそんなことはない。V6を担当にしたいと思ってからも、関ジャニ∞一本だったときと比べてまったくやっていることは変わらない。プラスでV6関連のことを調べているだけだ。いつまでたっても、こちらは親友のような関係性であるお兄ちゃんたちは愛おしい。

だから「担降り」なんて考えもしなかった。「担降りするかどうかって、考えた方がいいのかな?」程度だ。そんなこと思っている時点で担降りなんて結論が出ないのは見えていた。

グループとしては関ジャニ∞とV6の2つが担当になるが、個人としては渋谷すばるしか担当ではない。エイトの7人、V6の6人合わせて13人を並べてみても、選ぶのは絶対に渋谷すばるである。それぐらい私の中で彼は圧倒的だ。

 

 

お父さんのような坂本さんが好きだ。優しいの基準である長野さんが好きだ。お調子者のイノッチが好きだ。センターで天才的な森田さんが好きだ。いつまでも変わらない三宅健ちゃんが好きだ。上質な変態で末っ子な岡田君が好きだ。

 

でも、

 

いじられお兄ちゃんな横山さんが好きだ。佇むだけで世界が変わるようなすばるくんが好きだ。仕切り役で天然な村上さんが好きだ。笑顔にすることが大好きな丸山さんが好きだ。色々な神様に愛されている安田さんが好きだ。器用なくせに不器用な錦戸君が好きだ。ヘタレで毒舌な大倉くんが好きだ。

 

みんな好きだ。大好きだ。関ジャニ∞もV6も、それぞれにそれぞれの個性があって、みんな愛おしいのだ。だから私は掛け持ちをします。関ジャニ∞とV6、もっというならSPYAIRUNISON SQUARE GARDENも、みんな丸ごと大好きです。

 

V6担当の皆様、不束者ですがよろしくお願いいたします。

関ジャニ∞担当の皆様、これからはV6のことも発言するようになりますが、嫌な方はお別れを。それでもいいという方は、これからもよろしくお願いいたします。

 

長くなりましたが、これが私の「掛け持ち宣言」です。

彼氏にしたくないジャニーズランキング堂々の1位は自担だった

空前のジャニーズランキングブームである。「村焼きランキング」、「村焼かれランキング」、「村守ってくれるランキング」、「親に紹介ランキング」、「詐欺被害にあいたいランキング」、エトセトラ……。

えらく変哲なものが流行るのがジャニヲタ界隈の面白いところである。そもそもブームの発端が「村を焼くのが似合うのは誰か」ということなのだから驚きだ。なんだ村を焼くって。時代錯誤、世界錯誤である。しっかりTwitterでは便乗して楽しんだが。

 

流行りものにはやいやい言いながらも乗っかろうとするのが私。だから私もランキングを考えてみようと思ったが、なかなか思いつかない。そもそもジャニヲタ初心者な私はやっと最近デビュー組の顔と名前が一致したぐらいだ。性格まで把握できているグループは関ジャニ∞、最近気になって調べているV6も掴みきれたわけではない。

じゃあ自担である渋谷すばるがランクインするようなランキングは何だろうと考えた。歌唱力ランキング、ド変態ランキング、髪型変異が激しいランキング、といくつか考えていた結果思いついたのが、彼氏にしたくないジャニーズランキングである。ファンに恋させるアイドルにおいてこんなに不名誉なランキングがあるだろうか。

 

ではなぜ私は渋谷すばるを彼氏にしたくいか。それは彼がド変態であるからである。

18禁アイドルの異名を持つ渋谷すばる関ジャニ∞クロニクルでお昼の時間帯でありながらAVを連呼したことは記憶に新しい。彼のラジオであるスバラジも規制音にお世話になりっぱなしである。公録でも規制音がいる内容を話しているから驚きだ。

彼の変態エピソードを羅列してみる

  • ドM
  • 誕生日にマネージャーからもらったムチで本番前にメンバーにお尻を叩かせる(ズボンもしっかり脱ぐ)
  • 寝言が下ネタ
  • 半紙に女と書いて興奮する
  • 無類のTバック好き。Tバック愛好家。ご飯のおかずはTバック。
  • 脇毛は見せても問題はないが恥ずかしい場所であるグレーゾーン。なので、積極的に見せる。

あとはジャニ勉内でのセクハラ発言、MCでの暴走などでおわかりいただけるだろう。こちらも参考にしていただきたい。ひどい有様である。個人的には沖縄エピソードが一番ヤバイ。

アイドルは夢を売る仕事、でも一人ぐらい現実を売るアイドルがいてもいいじゃないかとソロライブで叫んだ彼ではあるが、さすがにこういう現実を売るのはあなたの仕事ではない気がする。いやそもそも関ジャニ∞では夢を売っているのではなかったか。

 

別にこの渋谷すばるのエロ漫談的ラジオや18禁アイドルたるところが嫌いなわけでは決してない。スバラジは面白く毎週待ち遠しくなり聞き終わったあともう一回再生するぐらい好きだし、彼の言葉によって笑い転げるいつまでも頭の中は中高生なメンバーを見るのが好きだ。

ただ今回は彼氏にするかどうかという話である。公衆の面前でエロトークをし、変態に分類される性癖をもつ人間を、私は彼氏にはしたくない。もし彼氏になったとしても順応できる気がしない。

 

なので渋谷すばるは私のなかで彼氏にしたくないジャニーズランキング堂々の1位なのである。そんな彼が圧倒的に私の自担である。

あと彼氏にしたいしたくない以前の問題に、彼の世界に私という異物が入りこみたくないと思っているのも理由ではある。彼と私の人生は交わってほしくない。あなたの進む道を遠いところから眺めさせてほしいと願っているのだ。

 

ところでV6で好きなのは剛健の2人なのだが、こちらもまた彼氏にするにはちょっと…と思うのが今の印象である。ちなみに彼氏にしたいのは塚ちゃんで、結婚したいのは長野さんである。

 

気づいたら自担が変態であることを主張する記事になった。この記事が何らかの間違いでうっかり本人の目に止まらないことを願うばかりである。

 

 

 

「音楽と人」8月号感想

音楽と人を買った。

音楽と人 2015年 08 月号 [雑誌]

音楽と人 2015年 08 月号 [雑誌]

 

 基本的にインタビュー雑誌は立ち読みで済ませてしまうのでなかなか購入しないが、この号にはUNISON SQUARE GARDEN特集とSPYAIRのIKEの単独インタビューがあるということ、近くに本屋がなく立ち読みに行く時間も確保できないため、友人に購入を委託した。

この「音楽と人」という雑誌を買うのは2回目で、1回目は渋谷すばるソロデビューに際した特集だった。渋谷すばるを好きになりたての頃に立ち読みして、これから渋谷すばるという人物を知っていき応援していくにいたって忘れてはいけない記事だと思い、手にとったそのままレジに持っていった。

そんな経験があったからこそ、この「音楽と人」という雑誌に対する信頼が高く、それも購入を決める一手となった。書き手にもよるのだろうが、この雑誌のインタビュー文はその本人の声で脳内で再生される。話している様子が想像しやすく、それほどありのまま書いてくれているのがわかる。質問も絶妙なところを突いてくるのがまた良い。信用と信頼の雑誌、音楽と人である。

 

 

さて、前置きが長くなったが本題の感想に入ろう。

まずはUNISON SQUARE GARDEN。それぞれのソロインタビューに盟友バンドのインタビュー、アルバムレビューとボリュームたっぷり。ここ最近の雑誌ラッシュでは一番内容も写真もしっかりしていると思う。

実は私はUNISON SQUARE GARDEN本人たちについては他と比べてあまり熱量を持って調べてはいない、そして本人たちの過去を語るようなファンもあまりいないため、私が本腰入れて好きになった2014年以前のことはよくわからない。なので「JET.CO」前後のイザコザがあったことを私はこの記事で初めて知ったのだ。「オリオンをなぞる」リリースに至るまでに葛藤があったことは知っていたが。

なのでギター&ヴォーカルの斎藤宏介氏がベースでありほとんどの楽曲の作詞作曲を手掛けている田淵智也氏に対してライバル心があったことは初めて知った。UNISON SQUARE GARDENはフロントマンが作詞作曲をしない稀有なバンドである。そのスタンスに対する売れていない頃の周りからの不信感、それにより求められるフロントマンとしての魅力に葛藤しメンバーですら敵に思えてた、という話は興味深かった。フロントマンに対する重圧というものは大きい。あのアクの強いベースとドラムを諌めて前にたてるのは斎藤宏介しかいないだろうということは断言できる。彼が即決でプロになる道ではなくこのバンドでプロになる道を選んでくれてよかったと心の底から思う。

田淵智也氏は相変わらずという印象(笑)。彼はぶれない。ずっと自分の中で音楽論を築き、それを発信する。この発信するという行為も相当なエネルギーを使うはずだし、それによって縛られるものもあるはずだ。それなのにこうして発信し続けることで実際にその理想が叶ってきているというところが田淵智也たるところだ。この「ぶれない」というのは「音楽論」に対してではなく、「音楽論を築き発信する」というところだ。音楽論は今までに何度かぶれていることは知ってるしこのインタビュー記事にも書かれている。ただそのぶれていることを、「前はこう言っていたけど今はこう思ってるから意見を変えました」というのを発信する正直さに、私は惹かれている。

鈴木貴雄は実は一番この中で音楽に対してアツイのではないかと思っている。自分のことを「音楽しかない」と言うぐらいだ。「音楽で生きていくんだ」ではなく「音楽やってないと生きていけない」と言うほどの学生時代の彼の闇は何なのだろう…。

「3人とも血まみれになった」おそらくJET.COの頃を経て、「無敵だな」と思えるほどいい関係を築けていったからこそ、昨今の彼らの活躍ぶりに繋がっているのだろう。個性の強い3人がそれぞれ互いを尊重しあい、それぞれの仕事に信頼を置いているからこそ、うまく自分をだしつつ共同体になれているものがUNISON SQUARE GARDENというバンドなのだろう。ソロインタビュー後のページの写真のなごやかな笑顔が、それを感じさせた。

DUGOUT ACCIDENT(通常盤B)

DUGOUT ACCIDENT(通常盤B)

 

 

 

 

 

あくまでメンバーを「仕事仲間」として捉えバンドをしているUNISON SQUARE GARDENに対し、メンバーに「友達」に戻ってほしいと願ったのがSPYAIRのヴォーカル・IKEである。

ROCKIN' OUTツアーファイナル東京のMCでIKEは「友達がいなくなった」と発言した。この「友達」がメンバーのことを指していることをこのインタビュー記事で公言した。

IKEはベースのMOMIKENとは小学生、ドラムのKENTAとは中学生の頃からの付き合いで高校の時に一緒にバンドを組んでいた。その時のバンドでよく対バンしていたのがギターのUZのバンドであり、お互いのバンドが解散したことをきっかけにその4人でSPYAIRを結成したのだ。つまり、彼らは学生時代からの付き合いであり、友達であった期間が圧倒的に長いはずなのだ。

それが友達でなくなったこと。「お前らなんか友達じゃない」と言ってしまったこと。周りに信頼できる、安心できる人がいなくなったIKEのことを考えると胸が苦しい。1ファンである私がIKEの苦悩に気づくことなんてできなかっただろう。気付いたところで何もできなかっただろう。それでも、それでも私は気づきたかったと、ネット上で会話できるツールがあったあの頃なら何か声をかけることができたのではなかと思うのだ。

まぁそんなのは結局ファンにはどうしようもなく、本人たちで解決させることができたのだ。友達に戻った。ご飯に行くようになった。心の底から信頼できるようになった。どうしようもなくそれが嬉しい。こうして暗黒期間を経て、表舞台に戻ってきたSPYAIRに、IKEに最大級の感謝を送りたい。この記事を読んだ後モバイル会員サイトにアップされていたIKE手術時のケンタ、モミケン、ユージからの手紙を見るとグッとくる。

私は死にたいなんて思ってないので、SPYAIRのおかげで生きているなんて思ってない。ただこのバンドがないと困る。つまらないと思う。それはこのバンドが存在していることに救われているということなのかもしれない。だからSPYAIRを続けてほしいし、続けるように行動していってほしい。

それにしてもIKEが何回も力強い言葉でもう大丈夫というので信頼したいのだけど、どうしても本心は?と探ってしまうようになってしまった(笑)。音を楽しめているのは事実だと思うので、私もあなたたちの音で楽しませてください。

 

あの時、逃げ隠れしようとしたけど、どこにも逃げる場所がなくて。今後10年経っても、<元SPYAIRのヴォーカルの人ですよね>って言葉が必ず出るなと。それなら、もう逃げてもしょうがないから、SPYAIRともう一度向き合ったほうが自分の人生にプラスだと思って 

 帰ってきたきっかけが体裁を気にしてってところに笑ってしまった(笑)。すべてが美談ではなく、こういう人間臭い事情もあって、それを隠しきれていないところが最高にSPYAIR愛おしい。

そして元SPYAIRの、って言葉に脱退したDJ、ENZEL☆を思い出す。彼も元SPYAIRの看板をずっと背負っているのだろう。騒動の時にお見舞いに行って様子を報告してくれていたので、そこらへんの話をしたのだろう。ゼルさん、ありがとう。

このIKEの記事で、今はいい状態でSPYAIRができていることがわかった。野外、絶対に成功させてほしい。

ファイアスターター(初回生産限定盤)(DVD付)

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長々と書いたがこれで感想終了である。購入してよかった。音楽と人は最高の雑誌だ!!

渋谷すばるの歌詞が描く世界

こちらのインタビュー記事で、各タレントの作詞論の話がでた。

私は渋谷すばるの歌詞が描く世界は共通のものがあり、それがここ最近変化したという意識を持っている。今日はその仮定について検証していこうと思う。

 

この記事を書くに至って、歌詞を一部とはいえ大量に転載することになるので、こちらの記事を参考にして右クリック禁止というスタイルをとらせていただいている。ブログ全体にかかっているので他記事にもこの体裁がとられているのでご理解いただきたい。

 

 

渋谷すばるの作詞には特徴がある。歌詞を見ただけで一発で「これは渋谷すばるが作詞したな」とわかるぐらいの。それが、

「&」の多様

・韻を踏むことにこだわる

この2つである。そして私が感じている歌詞の変化は、

2014年以降の作詞楽曲において韻を踏むことへのこだわりがやわらいでいる

というものである。今回はこの仮定を中心に歌詞を検証していこうと思う。

 

 

まず、渋谷すばる作詞で今回検証した楽曲をリストアップしていこう。

アルバム収録のソロ曲

words、琉我、Revolver、あ

共作

9号車2番A席(錦戸)、狩(仮)(ヨシャオ族)*1、道(丸山)

作詞担当曲

ONE、desire、All is well(一部分のみ)、ゆ

ソロ名義シングル収録曲

乗っかりトレイン、護り歌

Flat FiVe Flowers(以下フラフラ)楽曲*2

pray、greedy、Re:フラワー、Flower

その他にもフラフラ楽曲はあるが、どれも未音源化のためネットの歌詞への信憑性が薄いため、字幕つきで確認できる動画がアップされている楽曲に絞らせてもらった。

 

それではこの仮定についての話をすすめよう。まずは「&」の多様について。彼の歌詞には特に並列、添加の接続詞が多い。意味として同じ方向に分類される言葉の繰り返しや、対比の言葉が多い。実際に並べてみた。

琉我

を望む を歌う ~ 明日を求む 現在を歌う

臆病も強がりも抱きしめるわ

満たさないででも離れないで 

「何」に対する対比として「明日」と「現在」。この「明日」と「現在」自体も対比になっている。

 

誰かのためじゃない 自分のためでもない

産声で言った言葉泣きながら言った言葉

これは同じ意味の言葉を言いかえることによる繰り返しパターン。

いつもの笑顔 いつかの涙

枯らした涙 眠れぬ夜 

 ONE

・本当は怖くて 誰より弱くて

 

思いも明日へと

・だからどこまでも進む どこまでも続く

 乗っかりトレイン

・何も考えたくない 誰とも話したくない

・お前にさらけ出したい お前にもっと届けたい

pray

・全ての祈りは 明日への祈りは 君との祈り

・つないだその手に 握ったその右手

 greedy

抱きしめられても 繋がっていて

「あ」の「ありがとう」と「おめでとう」の繰り返しはそういうコンセプトだろうと割愛している。こうして並べていて気づいたのだが、「も」が多い。添加に分類されるものだ。恐らく癖であろう。これが大きな特徴の1つだと考える。

 

 

 

次に韻を踏むことにこだわるについて検証しよう。

韻を踏むことは歌詞にとって重要なポイントではある。しかしまぁ彼の歌詞はしつこいぐらい韻を踏むのだ。もはや駄洒落である。並べてみよう。

words

キャシャな体は家系で クシャな笑顔は関係ねー

・Love Love Love Love rough 裸婦 love love

家系で(a-ei-e)⇔関係ねー(a-ei-e)、Love⇔rough=裸婦

Revolver

馬鹿らしい秩序にねじ込むぜRevolver

新しい生道詰め込んだシリンダー

騒がしい音黒く塗りつぶせUPPER

モドカシイなら全て打ち砕け

Go to 脳 No Know

Oh yeah it's OK 人口 心臓

 「Go to 脳 No Know」→日本語発音o縛り、人口⇔心臓

世界が変わるから 限界なんかないから 絶対あきらめないから

 9号車2番A席

明日へと続く 僕らのひかり

明日へと続く 僕らののぞみ

新幹線の「のぞみ」「ひかり」にかけてる。これ錦戸君が考えてそうでもあるけど…。(追記:やはりここは錦戸君原案だと公言されていたみたいです)

狩(仮)

男の本能それは狩り

朝から晩までそればかり

狙い定め間合いを計り

明日へ繋ぐ光り

 ここのパート絶対考えたの渋谷さんだろ!と思うぐらい渋谷イズム。サビの「命をかけて涙を狩った お前への愛だけは、かれない」が秀逸。

ONE

手を伸ばせ つかみとるんだ

目を凝らして 奪いとるんだ 

手を伸ばせ⇔目を凝らして(e-o-o-a-~e)、つかみとるんだ⇔奪いとるんだ(u-a-i-o-u-n-a)

 desire

きつく抱い貴方だけ

汚し 止めない

行かない 繋げ

飲み込めるわ 貴方を

ここではなし

All is well

いつまでもこのまま 時の流れるままこのまま

真っ直ぐに進もう心のまま 疲れたら休もうそのまま

Re:スタート

ここからReスタート 心の傷が

言葉のDoctor そこからどうか

ここからReスタート 心残りが

孤独なSinger ここからどうか

Flower

誰だって 辛い 日々乗り越えて

枯れたって try また咲くの

雨んなって cry やけんなって fly

晴れんなって Flowers 

また咲くよ

 フラフラ時代は顕著にこの特徴がでていると思う。しつこいぐらい韻を踏んでる。ちなみにFlowerのAメロは文節の固まりが「は」「こ」「お」「あ」で頭の文字が揃えられている。

 

 

ここで私が一番検証したいころが2014年以降の作詞楽曲において韻を踏むことへのこだわりがやわらいでいるである。

2014年以降作詞楽曲はゆ、道、乗っかりトレイン、護り歌

韻をしつこく踏んでいるのはサビ部分が多いので、サビを並べてみる。護り歌はサビがないので、全文掲載。

まだ夢の途中 まだ夢の途中 

見て見ぬ振りをしてたら置いてかれるから

だからどこまでも進む どこまでも続く

いつもの声聞こえたら つながってるよ

これからも変わらず歌い続けよう いつまでもあの笑顔で

どんな時も君と笑おう そう決めたんだよ

ただ未来へ向かって

君の笑う声を 今ここで聞いてたいから

僕は今、ここにいるよ。

護り歌

ゆらゆらとゆらゆらとゆっくり

心のままに涙を流して

生きてるだけそれだけで本当は

独りきりじゃないよ

おかえり おやすみ

誰かのため思える心は 今を生きてる微笑み

そっと流れて

乗っかりトレイン

お前に乗っかっていたい

これだけはやめられない

ずっとつながっていたい ずっと揺られていたい

ずっと離したくない ずっと乗っかっていたい

乗っかりトレインはサビだけだと短いのでサビの先まで掲載した。この曲は「…たい」「…ない」で歌詞の語尾が統一されている。これで仮定は反論されたのではないかと思ったが、「心臓⇔人口(i-n-o-u)」「世界⇔限界⇔絶対(e~a-i)」など韻を踏んだ違う意味の言葉を並べてはいないので、やはり仮定は間違っていないのだろう。

 

なぜ渋谷すばるは2014年以降で作詞のスタイルが変化したのか。

渋谷すばるが2014年以前と以後で大きく違うことは、髪型である。冗談だ。

2014年に何が起きたかというと、映画「味園ユニバース」で初単独主演映画もといその主題歌でソロデビューである。私はここで大きな心情の変化、音楽に対する考え方が変わったのではないかと推測する。

なので私は歌詞の変化の理由に味園プロジェクト*3が大きく関係していると考える。

ただそれが具体的にどういう影響で、どのように彼の心情が変化したのかはわからない。私がファンになった時はすでに映画は撮り終えている状態だったし、ソロデビューも発表されいた。

だから具体的な理由はわからない。もしかしたら私の知らないインタビュー記事などですでに語っていて公の事実なのかもしれない。もしそうだったら教えていただきたい。

 

 

これが私の考える渋谷すばるの作詞論、渋谷すばるの世界である。

*1:安田、大倉、横山、渋谷のユニット

*2:Jr.ユニッ内バンドユニットFiVeと渋谷すばるが結成したバンド。2011年にFiVeが活動停止を発表し、事実上フラフラも活動停止に。

*3:映画主演決定からソロデビューまでの一連の出来事

七夕だから本気愛について考える

七夕である。年に1度、織姫と彦星が天の川を渡って逢える日。年に1度、一晩しか逢うことができない悲しい恋人たち。

あれ、これってヲタクとアイドルじゃね?年に1回とは限らないが、少ない頻度でたった一晩しか会うことのできないヲタクとアイドル。(多ステすれば話は別である)

そういうわけで今回はアイドルとヲタクの間に発生する恋愛感情について考えてみた。

 

 

アイドルに恋愛感情を抱いて応援すること

このことを本気愛、またはガチ恋という。ヲタク用語である。

私は未だ芸能人に分類される方に対して恋愛感情を持ったことはない。初めて好きになった芸能人は声優の中井和哉*1さんだが、恋愛感情は持っていなかったと思う。そもそも彼は既婚者で子持ちだ。その後サブカル女時代に突入するのだがバンドマンに対しては恋愛感情を持っていない。そもそも個人ではなくバンドというグループが奏でる音楽をまるっと含め「好き」でファンをしているので、恋愛対象から外れている。アニヲタ・漫画ヲタ時代も二次創作作品はよく見ていたので夢小説も例にもれず見ていたが、作品の中の人物との恋愛というよりその人物がどういう行動をとるのか、世界観を楽しんでいたと記憶している。

ただこの芸能人に対しての思いを「恋愛じゃない」と定義している確たる理由は実はないのである。

芸能人に対して私は「好き」という気持ちを持っていて。それは友達に対しての「好き」とも家族に対しての「好き」とも違う。だからといって異性に対する「好き」とイコールの関係であるとは言えない。「知りたい」とも「会いたい」とも「話したい」とも思うが、恋愛感情の「好き」ではない。そう思い込んでいる理由はただ単に「芸能人が好きな期間中でも異性に好きな人ができている」からである。だから私は本気愛ではない。そう思っている。ちなみに性的欲求も絡んでこないため、というのも理由の一つである。

私は渋谷すばるさんが好きだ。しかし、恋愛関係に発展したいとは思っていない。

 

 

 

「本気愛」をする人たち

昔、ジャニーズアンチ時代だった私は、本気愛をしている人に嫌悪感を持っていた。「現実みろよ」と思っていた。

そう思っていた理由について考えると、アンチ時代にジャニーズごとを避けていた私の目に入るほどの本気愛の人たちは理にかなった主張をしていなかったことに思い当たった。私がその時代に目にしていた本気愛の人といえば、「〇〇くん(タレントの名前)と付き合ってます。私のものだから好きにならないでね♡」などとまぁ、現実と妄想が入り混じっている人たちだったのだ。だいたいその発言をした人のホームを除くと案の定炎上していた。炎上している光景は、互いが互いを口汚く罵っているところが多いので不快に思う。また実際、「親がテレビ関係の仕事に就いているから、親のコネで〇〇くんに会って結婚するの♡」と発言していた人に会ったことがある。この堂々とコネ発言をすることにたいしての不快感。これらの要素で私は本気愛をしている人に嫌悪感を抱いていたのだ。

しかし、実際にヲタクをしてみて考え方が変わった。というのも、本気愛の方すべてが前述したように妄想と現実の区別がついていない人ばかりではなかったのだ。現実と妄想にしっかり区別がついている。現実を見たうえでタレントに恋をしているのだ。

そういう人がいると知ると、本気愛をしている方への嫌悪感は消えていった。むしろ、アイドルに対して本気愛をするのは当然じゃないかと考え始める。よくアイドルはファンに対して「彼女」と発言する。エイトなら丸山さん、あとは手越さんなんかそういう類の発言をよくするらしい。その発言からみるに、アイドルとは「自分に恋をさせる仕事」なのではないかと私は思う。彼らは私たちに夢を見せてくれる。年齢に関係なく好きと言ってくれる。それに恋をしてしまうのは必然といってもおかしくないのではないだろうか。

ちなみに私はアイドルへの恋は寿命が長いのではないかと考える。確かに結ばれる確率は0に等しいし、進展することはない。ただアイドルは基本的には悪いところは見せない。幻滅するところを見せない。しかしカッコイイところはどんどん見せてくる。よって進展もなければ後退もない、自分の中での好きがどんどん更新されるアイドルへの恋は、長い期間続くのではないだろうか。

 

 

 

私たちはいつになったらアイドルの恋愛を許せるようになるのか

朝井リョウ著の「武道館」を読んだ。

武道館

武道館

 

 この本の最後、主人公が所属していたアイドルグループから脱退してから数年後の場面で、このような会話がされている。

「覚えてません?あのころって、彼氏発覚で炎上とか脱退とか、今じゃありえないこといっぱいあったじゃないすか。坊主にして謝罪した子とかもいたんですよ確か」

「あー、今と真逆だな」 

 これからわかるように、この世界ではアイドルの恋愛は容認されるものになっているのだ。これは女子アイドルの話だが。

ここ最近の恋愛報道によるファンの動揺からわかるように、現代ではジャニーズアイドル(と、ここでは限らせてもらう)の恋愛はケースバイケースではあるが容認派と否認派に分かれている。今話題になっている横山さんと水卜アナほど応援している人口が多いのも珍しいとは思うが。私は表立って否認することはないが、心から祝福するのは難しい。それは今までにも言っていた通り「私たちに愛を歌うから」であるからだ。

では現代のこの状況が朝井リョウ氏が描いた「アイドルの恋愛が容認される世界」に変わるときがくるのだろうか。

私はまずそんな未来が思い浮かばない。それは本気愛をしている人はどの時代にも必ず存在するであろうから。その理由は前述した通りアイドルの仕事は恋をさせることであると考えるからである。だから本気愛の人が消えることはない。アイドルが私たちを彼女と言うことがなくならないうちは。

どうしたら私たちはアイドルの恋愛を認められるようになるのか。これはもう、強行手段にでてもらうしかないのではないか。井ノ原さんやキムタクみたいに結婚して、認めざるをえない状況にする、つまり失恋させるしかないのではないか。だから私は「結婚するなら公表してくれ」「交際宣言をするなら結婚まで見越してくれ」と主張するのだ。

 

 

 

 

以上が七夕だからと本気愛から発展してアイドルの恋愛について考えた結果である。ちなみに私がお話する方で本気愛の方はほとんどいらっしゃらないので、推察が間違っているところもあるだろう。ぜひご指摘ください。

*1:代表作に「ONE PIECEロロノア・ゾロ役、「銀魂土方十四郎役、「アッコにおまかせ!」ナレーションなど