嫌い嫌いも好きのうち

君を見つけ出した時の感情がこの五臓六腑を動かしてんだ

完全燃焼

 

完全燃焼です。

私が彼を見つけてからの3年半の愛はすべからず燃えていきました。

 

今日は身体に力が入らず、燃え尽き症候群だと思ったのですが、どうやら燃え尽き症候群というのは期待した結果が得られなかった時の徒労感から起こる病のようです。

だとすると、期待した結果が得られなかったとは言いたくないので、これは違うのだと思います。

 

人間の体というのは不思議なものだと感じます。

なんだかとても足が重くて、いつもより歩くスピードが遅くなってしまいます。

脱退の発表を聞いた時に背骨がなくなったような感覚がありました。

きっとしばらく私の背骨はなくなったままなのだと思います。

 

でも、悲しくないんですよ。

寂しいし、歌詞とか関係なく彼の関ジャニ∞での歌声を聞くと涙が出てきます。今までは週に3回はTVで見れて、週に1回30分彼の笑い声が聞けるラジオがあったのに、それが全てなくなったと思うと絶望的な気持ちになります。

それでも悲しくはない。少し晴れやかな気分ですらいます。

 

それはきっと私がこの3年半全力で、とりわけここ3ヵ月を頑張ったからだと思います。

 

全力だったと思います。CDを全種買ったわけではないし、ライブすべてに行けたわけではないし、見逃したテレビも寝落ちしたままのスバラジも結構あります。買ってない雑誌も集められていない過去作品もあります。

でも、気持ちだけは全力だったと思います。

一途ではなくて、V6もオタクし始めたし、ミュージカルだってバンドだって大好き。

ただ渋谷すばるという人物は私にとって生きる意味だってこの前のエントリでも書いた通り、自分の根幹の部分に居座っていたんです。

すばるくんを好きなことが、私にとってのエネルギーで、絶対的なもので、この事実があるから私は各方面に好きを捧げることができたと思います。

 

ゆるぎなく「自担」でした。すばるくんが嫌いな「担当」という言葉は、私にとっての大切な肩書でした。

関ジャニ∞渋谷すばるくんが好きです。」ということが、私のアイデンティティでした。

 

 

脱退発表からの約3ヵ月、地獄のようでした。

初めて自分がこんなに感情的になりふり構わず取り乱してしまう人間であることを知りました。

 

ずっと私は「悔しい」って思って泣いていました。

関ジャニ∞からいなくなることが悔しい。そんな兆候も気づかなかった自分が悔しい。すばるくんがこれから苦しい思いをたくさんするであろうことが悔しい。関ジャニ∞の曲を歌ってくれないことが悔しい。7人でアホなことして笑うところをもう見ることができないことが悔しい。

最後のMステも、案外泣かずにいけると思っていたんだけど、亮ちゃんがあまりにもくだらない小さな蕎麦の話をするから、「なんで今ソレ(笑)」って思いながら、こんなくだらない小さな愛おしい話をもう見ることはできないのかって悔しくて悔しくて声上げて泣きました。

 

そうだね、最後の1週間なんてひどいものだったよね。

スバラジ最後にかけた曲が「生きろ」で、私はすばるくんがどういう想いでこの曲を作ったかわかってたから、どういう意味で最後にこの曲を選んだのか伝わってたまらない気持ちになったり。

ペコジャニでグッときてるすばるくんの表情と、「何か思ったらどうにかなってしまいそう」って言葉にどうしようもなく悲しくなって。

ジャニ勉でまた6人の関ジャニ∞と、関西の後輩にまで気に掛ける言葉に、すばるくんの抱える罪悪感の欠片を見たような気持になったり。

安田さんの病気と怪我のお話があって。

 

木曜日のレンジャーで糸が一度切れました。

一斉にみんなこれから先の話をしていて、6人がもう次を見ていることを思い知ったから。

 

私はみんなに愛されているすばるくんが好きでした。

関ジャニ∞の中で姫ポジションを築いてるってぐらい寵愛を受けていたすばるくんが好きでした。

だから、すばるくんに矢印が向いていないことに、勝手に悲しくなっていました。あまりにも普段通りを努めているメンバー達につのった寂しさも限界を超えてきていたあたりだったのだと思います。

でも、それは当たり前のことじゃないですか。彼は道半ばで去る者で、直近の大仕事であるコンサートは6人でするわけだし、彼の抜けた穴を埋めるためのリハも進んでいるわけだし。

だからそんな勝手なことで悲しくなって、一緒に前向いて頑張っていこうという気持ちになれなかった自分に一番悲しかったです。

ここで前を向けない自分は、「応援している人の思いを汲み取って信じる」という私の中の絶対的ルールに反することでした。

 

でも、クロニクルで7人ぼっち輪になってHeavernly Psychoを見た時に、心が浄化されていったことを感じました。

これからは6人だけど、今までの7人は変わらないよって。すばるくんのことがみんな大好きだってことは、わざわざ疑う必要がないことだよって。

すばるくんはみんなから愛されて、愛されたまま新しい地へ行くんだと、心の底から信じることができました。

 

だからMUSIC DAYのオモイダマの後、長い温かい拍手が嬉しかったです。愛されているよすばるくん。みんなから惜しまれているんだよと感じることができたから。

 

 

前日の大倉君のラジオでも、亮ちゃんのレンジャーでも、丸山さんの大切な日でも、みんな関ジャムの生放送に並々ならぬ気合いが入っていることが伝わってきました。

まだ7/14まではすばるくんは関ジャニ∞だから、関ジャムの生放送が終わってもレンジャーの更新が残っているからと逃げていたのですが、そんな気合いの入った言葉ですばるくんの関ジャニ∞の最後がこの生放送であることを感じてしまいました。

 

関ジャム、エイター以外のジャニオタも、芸能界の方も、一般の方もたくさん見ていました。終わったあとに溢れるすばるくんを称賛する声が、私はたまらなく誇らしく思います。

 

すばるくんの卒業ライブはなかったけど、この関ジャムがその代わりでした。

 

無責任ヒーローで熱くなったし、ロマネでしんみりして、そしてLIFE~目の前の向こうへ~。

きっと亮ちゃんが泣いたのは本意じゃないと思います。でもね、寂しいって言ってくれて私は本当に本当に嬉しかったんです。この3ヵ月、なかなかみんな見せてくれなかった「寂しい」って感情を、最後の最後に教えてくれてありがとう。

大倉くんは前日のラジオで「流されやすいからウルウルするかも」とか言っておきながら、あんな笑顔で、「あの日交わした約束をずっと覚えているから」って手を差し伸べて歌うんですよ。あの感想の笑顔、私が今まで見た大倉くんの表情で一番好きかもしれない。

丸山さんも安田さんも村上さんも横山さんも、きっとそれぞれの想いがあるって顔をしてたけど、表情だけで勝手に心を決めつけるのはやめますね。いつかあの時どうだったって教えてね。教えたくないなら、大切にしまっておいてね。

 

すばるくんは、最後まで泣かなかったね。

あなたを好きな人を散々泣かせてるくせに、自分はしっかりと前を見ているんだね。

 

すばるくんが泣いているところなんて結構見てるよ。情に厚くて、感性豊かな人だもんね。それでも、最後の最後まで涙をこぼさず前を見ていたね。

 

しっかりと真っ直ぐに立つあなたのことが、私は世界で一番好きでした。

大切なものと離れてまで、自分を貫き通すあなたがかっこよすぎて、眩しくて、あなたの光で私は燃やされ燃やし尽くされ、今すべてが燃え尽きました。

 

この3ヵ月、すばるくんについて思考することを決して止めませんでした。

全然現実味がわかない時もあったし、逆に現実が近づいてきて怖くて時間が止まってほしいと何度も思いました。

それでも、私はすばるくんに全力を尽くして、きっと心を整えることができていたんだと思います。

 

ねぇ、すばるくん。

私見てたよ。すばるくんの晴れ舞台を、盛大な関ジャニ∞としての華々しい最後を、目をそらさずに見てたよ。

 

頑張った。頑張った。それでも、この地獄を耐えて耐えて、終わった先に天国なんてなく、今度はあなたの存在が見つからない地獄のような日々が来るのだと思います。

それでも私は今までの3年半と、ここ3ヵ月を全力で頑張った。この思い出を胸に明日からの地獄を生きようと思います。



すばる担としての私は完全燃焼しました。

 

これからは、とりあえず6人のツアー初日を見届け、オーラスを迎えるまでに新しく心を整えていこうと思います。

新生関ジャニ∞を見つめ、そして渋谷すばるを探しながら、また日々を生きていこうと思います。

 

私を燃やし尽くした渋谷すばるさん、

21年間、14年間、お疲れ様でした。

愛しています。これからも、ずっと。