嫌い嫌いも好きのうち

君を見つけ出した時の感情がこの五臓六腑を動かしてんだ

ジャニヲタ、被災する。【後編】

4/12追記:気になるところがあって書き直したので再UP失礼します。サムネイルはどうにかしたかったけど諦めた!気にしないでください!

 

前編のあらすじ

突然の地震、くじけそうなジャニオタ、それを救ったのは渋谷すばるの圧倒的顔面の美しさと森田剛の舞台決定のお知らせと井ノ原快彦の笑顔だった――

 

 というわけで、後編「終わらない余震、迫りくる舞台初日……果たして大好きなあなたに私は逢いに行けるのか!?」(長い)、お付き合いください。

 

避難生活の始まり

どうも住んでる寮の安全性が確かめられないので、耐震工事がしっかり施された学校の校舎で生活することになった。雑魚寝生活のはじまり。しばしの別れよふわっふわの羽毛布団。

 

本震の起きたあとの夜、初めて教室で寝た日は夜から明け方にかけて台風並の風と雨の予報だった。踏んだり蹴ったりとはこのことか。 前震から2夜連続で揺れているので、さすがの私もこの夜は大爆睡とはいかなかった。今夜大きく揺れたらどうすればいいのだろう。今までは外に避難していたが、雨風強いとなるとそれもためらわれる。緊急時にはそんなこと気にしている場合ではないが、さすがに野宿はできないだろう。はやくに布団に入って眠りはしたものの、余震で目を覚ましては風の音に怖がっていた。

 

7時頃目を覚まし、窓の外が明るかった時ことには涙が出そうになった。夜を超えた。揺れなかった。「日はまた昇る」なんて日本の歌詞に何度使われた言葉かわからないが、そのことがどうしようもなく幸せなことに感じた。

 

TVは無かったが、最初こそインターネットで配信されていたNHKの災害ニュースをみんな見ていたが、気が滅入ってきたのでしばらくするとみんな思い思いの好きなものを見ていた。

一連の記事で「気が滅入る」と何度も言った気がするが、ここから本当に気力との勝負だったと思う。しんどいって思ったら本当にしんどい。しんどいって気分のままいるとどんどん暗いことばかり考えてさらにしんどくなる。

 

だから明るくいようと、なるべく楽しいことをしていようと思って、フォエバコン*1見てた。何回見てもトリプルアンコのリボンシャワーで泣くよね!あそこの三宅健ちゃんの「すっげー!」って超素っぽい歓声で涙目になります。円形になったところで決壊する。

あとはすばるくんの「歌」のメイキングDVDも見ていた。すばるBANDのみなさんとかなりいい関係でレコーディングしているすばるくん愛おしい。「もう一回やりません?」って頬杖ついていお伺いするすばるくんには普段恋愛対象としては全く見ていなくても「彼氏になってください」と思わせる威力がある。

セクチャンとえびちゃんズーとガムシャラも見てた。ジャニーズは低予算orディレクターの理不尽と戦うバラエティをする決まりでもあるのだろうか。

 

ガスも出たがお風呂の数が人数に対して少なかったため2日おきに。本震後初のお風呂の気持ちよさは格別だった。温かいお湯ってこんなに気持ちいんだなと実感した。今大きいのがきたら嫌だなと思うとゆっくりしようという気分にはなれなかったが、だいぶ疲れがとれたように思う。

 

避難中は、楽しくすごせるよう務めた。楽しくなるよう、ちょっとしたゲームをしたり、お菓子持ち寄って食べたりと、色々やってみたから。楽しくなってきたタイミングで鳴る緊急地震速報にはめちゃくちゃ腹が立った。

 

デマももちろん絶好調だった。毎晩毎晩「今大きいのがくる」という噂がたっていた。本当に毎日毎日でていたので、嫌でも信じなくなる。「地震雲が出てるから危ない!」って毎日誰か言ってた。地震雲に科学的根拠は無いらしいです。あとは強姦事件発生の噂も回っていたがほぼデマだったらしい。ただ泥棒だけは本当で、500mぐらいの距離のところで泥棒が入ったという情報が入ってきた時はヒヤヒヤした。戸締り大事。

 

大変だったけど、いいこともあった。著名人の方々が続々と熊本入りしているニュース。私の大好きな俳優さんも来ていたり、ジャニーズからも中居さんが来ていた。目情があがっていた日にはいつもより深めに呼吸をしていた。滝沢歌舞伎で熊本について言及されたり、寝取られ宗助で募金をしていたり、あさイチで井ノ原さんが「明日も会いましょう」と言ってくれていたのも、伊野尾くんがラジオで熊本の子からのメールで涙していたのも知っている。ここまで届いている。TVでよく見る人たちがたくさん熊本について言及しているのを見るのはなんだかこそばゆいような、それでいてすごく嬉しかった。

 

それにV6のシングルの詳細が発表されて歓喜したり、エイトの元気魂映像化の告知文のズレてる感にちょっと苛立ったり、二つとも発売が6月と少し遅くて助かったなと安堵したりとしていた。

 

私的に一番嬉しかったのは、ONE PIECE声優の方々のメッセージ。私がジャニオタになる前、バンドに興味を示す前に2次元オタク声優オタクをしていた時に、所謂声優界の自担だったのはロロノア・ゾロ役の中井和也さんだ。正月そうそう行われていた中井さんが伊達政宗役を務める戦国BASARAの声優イベントに行きたくて泣いていたこともある。3次元で初めてハマった人だ。今でもスッキリやアッコにおまかせのナレーションを聞くとうっとりしてしまう。そんな彼が熊本に応援メッセージを送ってくれたというのが、6年越しぐらいの思いが通じたような、初恋が実ったような気分がしてなんとも嬉しかった。もちろん盛大な勘違いだとはわかっているよ!

 

しかし避難生活中の自分、今考えても不甲斐なかったと思う。もう少し気が利けば、もう少し周りが見渡せられれば、と反省することばかりである。集団生活もやはり長く続けるとみんなストレスが溜まってしまう。誰かを直接傷つけたというわけではないが、こんなときにしょうもないマイナスの感情にとらわれることがあった。私の元の人間がもっとできていればなぁ。こういう時に顕著に出てしまうので、普段から改善しておかなければならないと思った。

元々1人の時間はある程度は絶対に確保しておきたい人間だったから、最後の方は少ししんどかった。建物を検査して耐震性が保証され自室で寝泊まりするようになったのは地震発生から1週間が経った頃だった。

 

ちなみに雑魚寝は思ったほど体にキツくはなかったが、底冷えがひどかった。感染症が2名ほどでたので喚起のために窓を開けていたので超寒かった。3日目ぐらいから自室の別れを告げたはずの布団を持ち込んだので解決した。

 

 

実家への帰還

自室に帰れることとなり、交通機関もだいぶ復活したので、学校が始まるまで実家へ帰ることになった。

実家へ帰る前の日、自室のベッドで久しぶりに寝ようとしたところで、ある問題に気づく。暗いのが怖い。今までは電気代がもったいないと豆電球すらつけずに真っ暗で寝ていたが、今は真っ暗だとどうしようもなく不安になる。それと別に食堂で人が密着してご飯を食べる空間もなんだか息苦しく感じていた。恐らく、すぐに行動に移せない、逃げ出せない環境がダメになったのだと思う。前震のあとはあんなにぐーすか寝てたのに!と思ったがあの日も電気は点けて寝たのだった。

 

この暗いのが怖いという問題は少し胸がザワザワする程度だったので一時的なものだろうと心を収める。しかし余震が収まってない。気象庁はまだ「大きな揺れに警戒」と言い続けている。舞台に行くための新幹線のチケットもなんやかんや取ってない。困った。とりあえずチケットを持って実家に帰省した。

 

実家のマンションは見事にひび割れていた。割れているのは専門家によると壁だけで耐震性には問題ないとのことだったが、建物が歪んだのか扉が閉まりにくくなっていた。外壁が割れているのは精神的によろしくなかった。

 

そんなわけでうちには物音に敏感なビビリなお犬様もいたので、大規模修繕が終わるまで運よく借りれたアパートに住まいを移すことになった。人生初のお引越しにテンションが上がっていたことは否めない。

 

片づけをしながら実家の今までの話を聞いた。こちらはやはり食料も水も不足していて、近くの避難所から食事を分けてもらう生活を私が帰ってくる1日前までしていたらしい。地震発生から約1週間の期間になる。アパートも見つかるまではずっと車中泊。近くにペット専用の部屋を用意してくれている避難所もあったが、よく吠えるうちのお犬様には無理だと判断したらしい。1,2回ほど限界がきて親戚の家で休ませてもらったりした、と聞いた時はそばにいなかった自分が悔しかった。

 

ご飯はレンジでチンして食べれるご飯と缶詰だった。ここで私は劇的に感動したのだが、缶詰超うめぇ。100円と少しでこんなに満足度高いのか。味付けしっかりしてるしお魚が多かったが骨も気にならないしご飯との相性抜群。本当に100円と少しで満足度が高い(2回目)。チンするご飯も丁度いい固さ。非常食用と言わず常に持っておきたい。オススメです。この記事投稿したらサムネイルがこれになって非常に恥ずかしかったんですが、下のは私が一番好きなやつです。

 

 

帰ってからは実家の片づけに専念していた。引っ越しもするため荷物を減らそう、と思うと自然と断捨離をしていた。無の感情で捨てまくったおかげで、机の中身はすっからかんになった。黒歴史なノートや落書きたちは丁寧に包んで隠して袋の奥に押し込んだ。ふりむくわけにはいかないぜ…ふりむくわけにはいかないぜ…*2

ゴミは道のあちらこちらにあふれていた。2週間以上たっても片付いていないところも多々ある。ブラウン管ってまだあったんだな。

 

文字通り足の踏み場もなかった部屋もなんとか今では元の状態に戻っている。幸いリビングに背の高いものを置いていなかったのでそこを拠点に片づけることができた。倒れた棚の下から青い封筒と入れっぱなしだった会員証を回収したときほどの達成感はしばらく味わう事はないだろう。

 

GW手前まではこうして家の整理をしながら過ごしていた。地元近くの大型ショッピングモールが軒並み被害を受けて営業できない状態だったのは辛かったが、地震から1週間も経つとだいぶ物流も回復してスーパーは通常通り営業していたので助かった。大型ショッピングモールは私のよく行く範囲はどこもまだ営業完全再開には至っておらず、いやはや今後映画はどこに見に行けばいいのか…。スキャナーはいいぞ芸人に私も早くなりたいところ。

 

 

舞台に行きたかったヲタク

 

そろそろ舞台の話に入ろう。

 

元々、私の家は県外の現場に行くことをあまりよろしく思っていない。2,3年前までは煩わしく思っていたが、そう思われる原因は大きく私の極度な土地勘の無さと学生の本分は勉強であるにも関わらず成績不振なところにあるので、今では信頼を得られていない自分自身が悪いと納得している。あまりライブなどに関心が無い親なので理解を得るのも難しい。(なんなら私以外の家族みんなジャニーズアンチだ!)

 

それでも今回のForever Plaidは、公演が発表された日から交渉を重ね、交通計画を年密に練り、時にはチケットを一般発売で許可を得る前に取る強硬手段に出たり、許可をとったと思ったら急に翌日が祝日であるにも関わらず登校日になったのでふりだしに戻ったりと、色々問題はあったがとにかく自分の計画性をアピールした結果やっと許してくれた現場である。

 

どれだけ諦めろと言われても、周りと比べて厳しすぎるように感じる家族に逆ギレすることもせずにいれたのは大天使と噂のジンクスちゃんを演じる長野博を一目みたいがためであった。現場に回数重ねて行けないオタクは、1回の現場に対する執念が深い。私がV6で最初に保存したのは長野さんだった。今までなぜ長野さんがこんなにも美人であることに気づかずにいたのかと悔いたレベルだ。あの太く凛々しいのに薄い眉、ポメラニアン(@松岡くん)のような瞳に薄くむぎゅっとした唇、そしてあの柔らかい笑み。見たい、超見たい。

それに再演になるほど、坂本さんに「あのミュージカルをやれる長野が羨ましい」言わしめるほど好評価の舞台、3月に劇団新感線を見て以来加速している観劇欲を抑えることは難しかった。

 

 

それだけの思いを募らせていても、結局私は「行かない」という判断をした。

 

 

正直、1週間経っても気象庁からの「1週間程度は強い揺れに警戒」の言葉が消えなかったときにくじけて、地元に帰って実家から出ることが決まった時に心が折れちゃったんだと思う。

 

地元に帰ってから、舞台に行きたい気持ちと、観劇中にもし何かあったらと不安になる気持ちがずっとせめぎあっていた。慣れない部屋ではうまく眠ることができなかった。電気を消して眠ることさえできない自分が、果たして心の底から舞台を楽しむことができるのか、わからなかった。

 

だから親と話し合って、「お願いだから家に居てちょうだい」と言われたときに、首を横に振ることはできなかった。

 

だから、「行けなかった」ではなく「行かなかった」。

 

 

 

はぁ~~~~憎い!!!地震が憎いし自分の心の弱さも憎い!!!! あんなにやっと長野さんに会えるとワクワクしていたのに、ここでなんとしてでも行くと覚悟が決めきれなかった自分が憎い。地震発生してもずっとジャニヲタで、ジャニーズでこんな時でもハッピーになれるからジャニヲタ最高!ってぐらいヲタクしていたのに、肝心な時にヲタクになりきれなかった。地震で自身に自信が無くなっていた(大爆笑)(喝采)(腹を抱える観客)

 

それでもね、自分が憎いけどあの時の判断を後悔はしていない。ヲタクとしては正しくないけど、あの状況にいた自分としての判断は間違ってなかったと思うから。やっぱりあの状況で行っても100%楽しむことはできなかったと思う。だから、後悔はしてない。

 

けど悔しいもんは悔しいからそう決めた舞台前日から初日の幕が下りるまで泣き通しだった。チケットがお手元に用意されてるのに行かないなんて初めての経験だった。当時華のJKが、バレンタインの日にチョコも作らずコンビニで待機して勝ち取ったチケット。取れた時は「長野さんからの逆チョコ!!(ただし資金は自分持ち)」と喜んだものだった。

 

ジャニヲタ楽しい!ってずっと言い続けてるけど、こういう時に逃げ道を作っておくことは大事なのかもしれない。剛君の舞台が発表されていなかったら、関ジャニ∞が好きではなかったら私はもっと落ち込んでへこみまくってスライムになって勇者に一撃で倒されていたかもしれない。ヲタクは生活の一部にしてしまうほどのめり込んで愛するものだから、それが崩れると自分の生活にモロ影響を出してしまう。実際私はこの時片づけもせずずっと寝込んでいたが、あまりにも無気力になりすぎるといけないと思ってエイトのライブを見て元気を出していた。

 

ずっとそうやってエイトを見つつも引きずっていたが途中で落ち込むことにも疲れ、「ああ、もうネタバレとかなんとか避ける必要はないのか」ということに気づき、終演直後のTwitterに「フォエプラ」で検索をかけた。

 

 

するとそこには「楽しかった」「最高だった」「幸せだった」「行って良かった」と、舞台を称賛する言葉が溢れていた。つぶやいている人みんなが言葉だけで伝わるぐらい幸せそうだった。

 

 

それを見て私はなんだか満足してしまった。「公演初日、無事成功したんだな」と、感想を読んでこちらも幸せになるぐらい嬉しかった。自分は行けなかったけど、長野さん松岡くん慈英さん壮麻さん、その他大勢のスタッフのみなさんの舞台は成功したんだなと思うとそれだけで嬉しかった。好きな人のお仕事が成功した、それだけで嬉しくなるようなヲタクだった。

 

囲み稽古で長野さんが「九州の方が来てくださいと言ってくださるから、僕らも行ける」というようなことを言っていた。もちろんウェルカムだが、実際キャストさんスタッフさん側も、この時期に震源から遠い久留米とはいえ大きいのがくると揺れるところに来るのに不安がないことはないだろう。それでも来てくれて、お客さんを幸せにしてくれた。そのことに気づいて、感謝の気持ちが溢れた。九州に来てくれてありがとう。舞台中にくまモンの話題を出してくれたこともレポで知った。それで十分、私の現場に行けなかった怨霊は成仏した。

 

 

総括

ジャニヲタで助かった!!!!!

 

すっごいキツかったししんどかったけど、ジャニーズにたくさんの勇気と元気をもらえたおかげで頑張れた。

 

アイドルは完璧じゃないから、完璧を求める人に馬鹿にされることもある。お芝居も歌もダンスもいいとこどりするから、中途半端と正当に評価されないことも多くあると思う。それでも、完璧じゃなくても中途半端でも、方法はそれぞれ違うにせよ「人を笑顔にする」というお仕事をしているアイドルが、根拠も理由も保証もない見ず知らずの人間の時には迷惑なぐらい大きな「好き」を受け止めてくれるアイドルという仕事が、私は物凄くかっこよくて素敵だと思う。改めて、そう思った。

 

 

前編から、たくさんの方に記事を読んでいただいたみたいで、ありがとうございます。これは私が大変だったことをちょっと誰かにお喋りしたいって気持ちで書いたものなので、これを読んで実際に参考になるかは不明です!!

ただ、日本に生まれた以上震災に合わずに一生を終える確率の方が低いのではないかと、今回の経験で私は思いました。なのでどうかみなさん、近い将来起きると言われているものまでありますし、避難道具だけでなく災害時の行動に対する知識を入れておくなど、準備をすることを強くお願いしたいです。

そしていつか九州に遊びに来てください!丸山隆平さんと村上信五さんが一口城主として名前が記載されていた熊本城はしばらく入れませんが、熊本城下の郷土料理やお土産が楽しめる城彩苑は営業再開していますし、熊本県ではなくくまモン県ではないかと言われるぐらいにくまモンで溢れている楽しいところです。私は結構、熊本が好きです。

 

 

最後になりましたが、TVのL字の震災情報も消えたし、日常は取り戻したように見えますが、まだ余震は続いており、強い揺れへの警戒は続けておかなければならないのが現状です。被災者でありながらも私は被害は軽い方です。避難所生活が続く方も多いと聞いています。心からお見舞い申し上げます。微力ながら、私も何かできることをお手伝いさせていただこうと思っています。一日も早く平和な日常が送れるよう心からお祈りいたします。

 

眠れずに見上げた空に光る 流れ星飽きもせずながめてた

振り返り立ち止まることもあるけど 明日だけを願っていればいい

笑い飛ばせるさ、何が起こっても僕ら

背中合わせで 再会を願って歩んでいくよ

 WALK / V6

 

 

*1:V6 live tour 2015 -SINCE1995~FOREVER-

*2:♪ふりむくわけにはいかないぜ/関ジャニ∞