読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

嫌い嫌いも好きのうち

君を見つけ出した時の感情が この五臓の六腑を動かしてんだ

ジャニヲタ、被災する。【前編】

 
被災しました。
とはいえ被害も軽い方で、もうほぼ通常通りの生活が送れる段階まできています。
 
ちょっと今からあの時の話をします。とは言っても深刻に真面目に話をしたいわけではなく、ただ私が「ちょっと聞いてよー!大変だったんだからー!」っておばちゃんテンションでお喋りしたいだけなので、気が向いた方はお付き合いいただけると嬉しいです。
 
 
 
 
 
終わらせなければいけない課題2つと、作っておかなければいけないプレゼン1つと、やっておきたい勉強が山ほどとあって、それなのに眠くてしょうがなかったから少し眠ってお風呂に入ってから頑張ろうとベッドでウトウトしていたときに、
 
後に前震と呼ばれる地震が発生した。
 
ウトウトしていたからまったく状況は理解できず、とりあえず毛布をかぶった。収まって廊下にでてみるとみんな同じように部屋から顔を出している。実はこのときもまだ理解が及んでいなくて、避難指示の放送が入ってからやっとただごとではないことに気づいた。我ながらおせーよ
 
上着を着て携帯だけを持ってとりあえず外に。点呼をとっているときにボソボソと聞こえてきたのが「熊本で震度7」という言葉。マジ??耳を疑ったが、どうやらマジだったらしい。私はこのときまで震源地が熊本なんて思ってなかったし、震度7の大地震だったなんて信じられなかった。これは揺れを小さく感じたから、ではない。自分が被害の中心地にいるなんて思いもよらなかったからだ。
 
元々熊本は地震が少なく、私が経験したなかで一番大きな地震で震度4。それに南海トラフや首都直下など地震の危険性が叫ばれていた時も、特に熊本は近いうちに大きい地震が来る可能性があるなんて大声では言われていなかったと思う。だから熊本は大丈夫だろうけど就職して関東にいった時が怖いなぁとか、そういう認識しかしていなかった。
 
周りから聞こえてきた「俺たちって被災者なのかな」「被災したってことなのかな」の声。正直、自分は平々凡々な人生を送ると思っていた。特に大きな事故も起こさず、事件にも巻き込まれず、就職して結婚……はできる気がしないのだけれど、普通に生きて普通に死んでいくんだろうな、特に大きなトピックない人生を送るんだと思ってた。
 
東日本大震災で、どれだけ多くの人が巻き込まれたのかを知っていても。日本が災害大国だと知っていても。
そんな風に思っていた。
 
しかし私はあの瞬間、バッサリと今までの日常から別世界に、自分が「被災者」になった世界に投げ込まれたのである。こんな風になって気づく日常のありがたみ。だるいなと思っていた学校にも、早く行って友達と会いたくてしょうがなかった。ついこの前とと姉ちゃん西島秀俊が何気ない日常のありがたみを教えてくれていたのに!こんなに早く実感するとは!ちなみにとと姉ちゃんは2週間ぶりぐらいに見たら謎の植物大好き学生が登場していて戸惑っています。
 
震源地熊本・震度7」の情報が与えた衝撃は大きかったし、意識がはっきりしている状態で揺れる余震は怖くて仕方なかった。それでも取り乱さずに動けていたのは、周りに知っている顔がたくさんいたからだと思う。避難が必要な災害なんてほとんどみんな初めての経験だから戸惑っていた。「自分より緊張している人を見ると落ち着く」法則は正しかったらしい。負けず嫌いで意地っ張りな私は、パニクってる場合じゃないとしっかり取り乱さずにいることができたと思う。もう今度から長所に自信もって負けず嫌いって書いてやろう(いつも短所とどちらに書くか悩む)。
 
とは言っても不安で仕方なかったのだけど、そんな時の支えはTwitterだった。無事の旨を投稿すると優しいお言葉をリプライしてくれたり、情報や今後の対策をRTで回していただいたりと、もう感謝で胸がいっぱいに。本当にその節はありがとうございました。私を気遣っていただいたリプライ、実は何度も何度も読み返していた。嬉しかった。ネットのつながりは馬鹿にできない。良い縁に恵まれたなと思った。
 
5年前の東日本大震災で情報共有ツールとしてTwitterの存在の有意義さは私も身をもって知っていたが、利用者も拡大に増えた今はさらに強力に働いていたと思う。あの頃は今では必ずと言っていいほど所得している公式アカウントも当時は企業で作っているところは少なかった。今じゃ公式アカウントが(基本的に)正確な情報を教えてくれるし、この橋が崩れて通れないとか、この避難所でこれが足りないとか、そういう情報共有にTwitter大活躍だった。ありがとうTwitter!まだまだやめられそうにない!
 
とは言ってもデマは多かった。ライオンが逃げ出したとか、大型ショッピングモールで火事だとか。それは結局外国の写真だったり花火大会の時の写真だったりしたけど、そこそこ信じてる人もいたし、「一般の人の情報を鵜呑みにするな」ということは心に刻み付けておかなきゃいけない。というか、こんな大地震でみんなビビってるときによくそれっぽい写真見つけ出して嘘情報流せるな!?なんでそんな落ち着いてるんだ!?!?逆にそっちの方が気になった。
 
話を戻して。結局その日は一階を開放して寝るスペースに、怖い人は外で寝てよいということになった。いくら4月の熊本といえど外は寒かったけど、屋内に入るのは怖かったので、私は外。人生初☆野宿(もちろん当時はこんなテンションではない)。
 
幸い電気も通ってたので、ドラムコンセントをひいてポットを用意してインスタントの温かい飲み物も飲めたし、携帯を充電することもできた。災害用毛布は、見た目が薄いわりに体を包み込むようにくるまるとかなり温かかったが、布団のように敷くと見た目通りの防寒力だった。あれはくるまるのが正しいのかも。
 
夜はもちろん寝つけなかった。余震は高い頻度でくるし、全然間に合ってない緊急地震速報は鳴るし(震源が浅いから間に合わないらしい)、アスファルトの上だし、寒いし。
でもそんな時でも私はジャニオタだった。0時を回るとすぐさまラブセン*1を開いてVみくじ*2をひいた。Twitterを見ると地震情報で少し気が滅入ったりしたので、アルバムを開いて900枚超のすばるくんの画像を眺め、見惚れていた。なんかもう、こんなときだけど、すごい幸せだった。今この瞬間もすばるくんは美しいんだなと思うだけで勇気がわいた。いや初老顔してたかも知らんけど。
 
ジャニオタやってると、思いもよらないところから元気になるからやっぱり楽しい。ちなみにこのときのVみくじの結果は長野さんの凶だった。いやわかってるわ。今までの人生最大の凶日だわ。
 
そうして突如自分が「被災者」になって戸惑ったものの、負けず嫌いとジャニオタパワーでなんとか乗り切った1日目の夜だった。
 
 
 
 
 
日が昇って部屋に帰ることになった2日目。部屋は物が散乱していてため息をついたが、よく考えれば元からこれぐらい汚かった。つまりは大きな被害はなかった。な、泣いてねーし!
 
Twitterでは、前の時も大きい地震のあとさらに大きい本震が起こった、昨夜のは前震でまた強い揺れがくる恐れがあると噂が飛び交っていて、かなり気が滅入っていた。
 
元々性格はかなりのビビリで、特に自然災害系は一番ダメだった。それなのに昨夜落ち着いていれたのは何故だったのか。答えは1つ。大きい揺れの時に寝ぼけていたからだろう。
 
そんな結論にたどり着いた私はとにかく眠ることに決めた。明らかに判断ミスだし、寝ぼけて逃げ遅れたらどうするつもりだったんだろう。でも正直昨日1日眠れなかったし、その前日もなぜか眠れずいつも6時間近く眠っているところを3時間半ほどしか眠れていなかったので寝たくてしょうがなかった。起きて色々悪いこと考えて不安になるより、寝て時間を消費する方が精神的にも良い気がした。
 
「備えあれば憂いなし」というので、また揺れた時を考えて持ち運べるリュックを用意することにした。こういうの、日ごろから用意しとかなきゃいけなかったんだろうな……。とりあえずもう帰れなくなったときのために下着一式・野宿は思いのほか寒かったので靴下(ふくらはぎまで長さのあるもの)タオル懐中電灯ビニール袋Twitterで懐中電灯代わりになると教えてもらったペンライト(元気魂のタンバリン)充電器ケーブルウォークマン(ラジオが聞ける)財布ジャニショの公式写真を入れた。私の場合はこれで足りた。ジャニショの写真は携帯の電源が切れたときのための活力供給剤だ。あとは倒れそうな全身鏡や帽子掛けをあらかじめ倒しておいた。
 
このように準備して出入り口近くに置いておき、寝た。ぐーすか寝た。3,4時間ほど寝て、起きたらクロニクルか学校へ行こうかを見てゲラゲラ笑い、終わったら寝る。こんなことをしていたらあっという間に夜になった。ここまで寝る予定ではなかったので、一番不安になる夜は眠れないのでは、と思ったのを最後の記憶に大爆睡していた。自分でもびっくりする。前日あんなことがあったなら寝つけない気もするのに…。自分の心の逞しさというか図太さを知った。
 
そんな大爆睡をしていたから、夜中1時頃に起きた本震に気づくのも遅れた。言わんこっちゃなーい!
 
友人の話だとかなり長く揺れたらしいので私が意識を覚醒させたのは揺れ始めてしばらくたってからだったのだと思う。しかし、前震はウトウトしていた時にきたが、今回は大爆睡してる時にきたのだ。もう寝ぼけMAXである。窓が揺れる音なのか、とにかく音が凄かったので、私は大雨が降っているんだなと思ってた。毛布をしっかり頭にかぶりながらも、「地震のあとに大雨って散々やないかい!!」と思ってた。人間寝ぼけるとここまで判断力が鈍るもんなのか。いやたぶんそんなの自分ぐらいだと思う。
 
おさまってすぐ、部屋をノックされ「ああ、避難しなきゃ」とやっと頭が働きはじめ、この時明るくして寝たはずの部屋が暗かったので停電したことに気づき、慌てて上着を着てリュックを持って外に出た。ここで私はこの地震で最大のミスを犯す。携帯を持ち忘れたのだ。携帯を持たないまま外にでてきてしまった。
 
点呼をすませ、戻ろうにも余震がひっきりなしに起きていて部屋に戻るには危険な状態であった。前日携帯での情報共有のありがたみを実感したばかりだっただけに、これは痛かった。まず家族の安否がわからない。家族の携帯番号を覚えておけばよかったものの、まったく覚えていなかったので連絡手段がなかった。そして情報を得る手段がないので震度いくつかもわからなかった。周りの声に耳を澄ませるしかなかった。暇もつぶせなかった。せっかく(想定していた事態と違うけど)こういう時のためにと持ってきたジャニショの写真も、さすがにここまで人が近くにいる状態で見るのは気が引けた。単独行動厳禁だったためこっそり見ることも叶わず、ジャニオタ完全敗北した。あ、でも元気魂ペンラは形状が珍しいからちょっと人気だった。
 
私がこの一連の地震で一番怖かったのはこの日に起きた余震だった。恐らく震度6弱。立っていられないほどの大きな横揺れで、地面が揺れているのが目視できたほどだった。足はあれからしばらく震えっぱなしだった。一度大きいのがきたあとにまた大きいのがきたため、また次も来るかもしれないと。余震で揺れるたびにもっと大きくくるんじゃないかと怖かった。
 
外で集まっているときに気を付けたのは、話すときに伝える情報のチョイスだった。周りに人が集まっているので、隣の人に話しているだけでも聞くつもりではなかった子にまで聞こえてしまう。だから不安を煽るような、例えばここの家がつぶれたとか、絶対すぐ大きいのがくるとか、真偽が怪しい情報は絶対口に出せなかった。デマはこの日も絶好調で、3時に更に大きい揺れがくるっていうのが一番出回って、信じてはいなかったものの、正直3時から4時頃の一時間は気が気ではなかった。無駄に疲れた。デマ、ダメゼッタイ
 
結局この日は耐震しっかりしている学校の校舎に移ることになり、怖い人は野宿の許可がでたので私は外で寝ることにした。4時近くになって部屋に荷物だけ取りに帰れることになりヒビリながら携帯と枕代わりにバスタオルをとった。案の定かなり心配をかけていて申し訳なかった。前日しっかり準備したのに肝心の携帯を枕元に置いたまま忘れるなんてね…アホだな(そうだよアホだよ)*3…。
 
ぱーっとTwitterもさかのぼってると剛君の舞台が発表されてた。おーいおいおいおーい!地震でもなんとか落ち着いていられたが、これには取り乱しそうになった。
 
V6は担当として1人を選べない、1人を見ているうちに他5人を見逃すのが嫌だったので箱推しというスタイルをとっているが、それでもFCに入るときに応援している個人名に書いたのは森田剛の3文字だった。それは6人のなかで一番彼の個人仕事の現場に行きたいと思ったからで、私が舞台の世界に興味を持ったのは剛君の「IZO」と今まで彼が出演した舞台の感想ブログだったからであって、つまり剛君の舞台にめちゃくちゃ行きたかった。
 
そのときだけは恐怖とかぶっ飛んで、ただただ驚いて、東京でしかなさそうな事実に打ちひしがれ、8月というアバウトな日程に戸惑っていた。おいこんな時に、とも思ったがこんな時だからこそ希望になった。そうだ私はこのとき2週間後に長野さんのミュージカル「Forever Plaid」を控えていたし、剛君の舞台も発表されたし、頑張れ、これを乗り越えたら楽しいことが待ってるよと言われた気がして勝手にときめいていた。
 
携帯を持って情報を得られるようになったのはいいが、逆に情報を得すぎて怖くなったこともある。震源地が阿蘇付近で、噴火の危険性が叫ばれていた。一般人が言ってるだけと最初こそ気にしなかったが、煙が黒くなったと写真付きで投稿されたときは泣きだしそうだった。安心するために検索しても不安を煽るようなものばかりで(もちろんそんな意図でつぶやいているわけではないのだけれど)、今自分は死と隣り合わせなのだと感じたときは背筋が凍った。
 
避難してすぐはバタバタして考えきれなかったことが浮かんできて、眠ることなんてできるわけがなかった。「フォエプラも剛君の舞台もあるから頑張って生きる」とかなんとかつぶやいたけど、さすがに死亡フラグすぎて消した。あと、自分にもしものことが起こった時はなんとか信頼できるフォロワーさんに連絡して私のTwitterはてブロのアカウントをパスワードを伝えて削除してもらおう、とか考えてた。
 
 
 
 
朝になって、ご飯を食べに食堂へ。ありがたいことに私たちは3食どれも不足せず食べることができた。こんな大変なときでも働いている人はいて、そのおかげで私たちは生活できているんだって身に染みた。
 
TVを見るとやはりどこも熊本の報道ばかりで、やっぱり自分たちは被災者なんだなと実感する。CMも5年前はぽぽぽぽーんだったものがセトモノや「ひとりぼっちってどんな気持ち?」など絶妙に暗くなるACのCMばかりで、非日常だなぁってぼんやり思ってたら、
 
 
井ノ原さんが出演している日本郵政のかんぽさんのCMが流れて、
 
思わず泣いた。
 
 
井ノ原快彦さんは本当にズルい男ですね。あんなに周りの人も明るくしちゃうような笑顔を見せられてね。細い目をさらに細くしちゃって、見てるだけで幸せになりそうな笑顔が温かくて優しくて、ふわっと包み込んでくれるような気さえしてきて、涙が出てきた。
 
周りに人もいたからこらえたけど。結構落ち着いていたし、寝てはいないけど体はきつくはなかったから大丈夫だと思ってたんだけど、思ってたより限界に近かったのかもしれない。井ノ原さんの笑顔を見た瞬間、たぶん物凄く「安心」したんだと思う。「安心」して、そこで初めて「キツい」と思った。
 
アイドルが好きで良かったと心底思った。さっきから何度もオタクしてる事書いてて、こんな時に余裕あるんだなと思われているのかもしれないけれど、あの時私の大好きな人たちは確かに私にとっての希望の光だった。オタクしててよかった。こんなにも大好きな人たちがいるから、大好きな人たちをもっと見ていたいか、今日も明日もこれからも頑張ろうと思えた。
 
 
 
 
長くなったので一旦このへんで。次回後編、「終わらない余震、迫りくる舞台初日……果たして大好きなあなたに私は逢いに行けるのか!?」 

sausgkj8.hatenablog.com

 

 
 
 

*1:ラブセン~V6と秘密の恋~:V6と恋愛できるという斬新な設定の最近やたら色々なところに広告を出している乙女ゲーム

*2:ラブセン内のコーナー。1日1回ひくことができ、大・中・小・凶×6種とトニ吉・カミ吉がランダムで出る

*3:パークマンサー