嫌い嫌いも好きのうち

君を見つけ出した時の感情がこの五臓六腑を動かしてんだ

ジャニヲタ、被災する。【前編】

 
被災しました。
とはいえ被害も軽い方で、もうほぼ通常通りの生活が送れる段階まできています。
 
ちょっと今からあの時の話をします。とは言っても深刻に真面目に話をしたいわけではなく、ただ私が「ちょっと聞いてよー!大変だったんだからー!」っておばちゃんテンションでお喋りしたいだけなので、気が向いた方はお付き合いいただけると嬉しいです。
 
 
 
 
 
終わらせなければいけない課題2つと、作っておかなければいけないプレゼン1つと、やっておきたい勉強が山ほどとあって、それなのに眠くてしょうがなかったから少し眠ってお風呂に入ってから頑張ろうとベッドでウトウトしていたときに、
 
後に前震と呼ばれる地震が発生した。
 
ウトウトしていたからまったく状況は理解できず、とりあえず毛布をかぶった。収まって廊下にでてみるとみんな同じように部屋から顔を出している。実はこのときもまだ理解が及んでいなくて、避難指示の放送が入ってからやっとただごとではないことに気づいた。我ながらおせーよ
 
上着を着て携帯だけを持ってとりあえず外に。点呼をとっているときにボソボソと聞こえてきたのが「熊本で震度7」という言葉。マジ??耳を疑ったが、どうやらマジだったらしい。私はこのときまで震源地が熊本なんて思ってなかったし、震度7の大地震だったなんて信じられなかった。これは揺れを小さく感じたから、ではない。自分が被害の中心地にいるなんて思いもよらなかったからだ。
 
元々熊本は地震が少なく、私が経験したなかで一番大きな地震で震度4。それに南海トラフや首都直下など地震の危険性が叫ばれていた時も、特に熊本は近いうちに大きい地震が来る可能性があるなんて大声では言われていなかったと思う。だから熊本は大丈夫だろうけど就職して関東にいった時が怖いなぁとか、そういう認識しかしていなかった。
 
周りから聞こえてきた「俺たちって被災者なのかな」「被災したってことなのかな」の声。正直、自分は平々凡々な人生を送ると思っていた。特に大きな事故も起こさず、事件にも巻き込まれず、就職して結婚……はできる気がしないのだけれど、普通に生きて普通に死んでいくんだろうな、特に大きなトピックない人生を送るんだと思ってた。
 
東日本大震災で、どれだけ多くの人が巻き込まれたのかを知っていても。日本が災害大国だと知っていても。
そんな風に思っていた。
 
しかし私はあの瞬間、バッサリと今までの日常から別世界に、自分が「被災者」になった世界に投げ込まれたのである。こんな風になって気づく日常のありがたみ。だるいなと思っていた学校にも、早く行って友達と会いたくてしょうがなかった。ついこの前とと姉ちゃん西島秀俊が何気ない日常のありがたみを教えてくれていたのに!こんなに早く実感するとは!ちなみにとと姉ちゃんは2週間ぶりぐらいに見たら謎の植物大好き学生が登場していて戸惑っています。
 
震源地熊本・震度7」の情報が与えた衝撃は大きかったし、意識がはっきりしている状態で揺れる余震は怖くて仕方なかった。それでも取り乱さずに動けていたのは、周りに知っている顔がたくさんいたからだと思う。避難が必要な災害なんてほとんどみんな初めての経験だから戸惑っていた。「自分より緊張している人を見ると落ち着く」法則は正しかったらしい。負けず嫌いで意地っ張りな私は、パニクってる場合じゃないとしっかり取り乱さずにいることができたと思う。もう今度から長所に自信もって負けず嫌いって書いてやろう(いつも短所とどちらに書くか悩む)。
 
とは言っても不安で仕方なかったのだけど、そんな時の支えはTwitterだった。無事の旨を投稿すると優しいお言葉をリプライしてくれたり、情報や今後の対策をRTで回していただいたりと、もう感謝で胸がいっぱいに。本当にその節はありがとうございました。私を気遣っていただいたリプライ、実は何度も何度も読み返していた。嬉しかった。ネットのつながりは馬鹿にできない。良い縁に恵まれたなと思った。
 
5年前の東日本大震災で情報共有ツールとしてTwitterの存在の有意義さは私も身をもって知っていたが、利用者も拡大に増えた今はさらに強力に働いていたと思う。あの頃は今では必ずと言っていいほど所得している公式アカウントも当時は企業で作っているところは少なかった。今じゃ公式アカウントが(基本的に)正確な情報を教えてくれるし、この橋が崩れて通れないとか、この避難所でこれが足りないとか、そういう情報共有にTwitter大活躍だった。ありがとうTwitter!まだまだやめられそうにない!
 
とは言ってもデマは多かった。ライオンが逃げ出したとか、大型ショッピングモールで火事だとか。それは結局外国の写真だったり花火大会の時の写真だったりしたけど、そこそこ信じてる人もいたし、「一般の人の情報を鵜呑みにするな」ということは心に刻み付けておかなきゃいけない。というか、こんな大地震でみんなビビってるときによくそれっぽい写真見つけ出して嘘情報流せるな!?なんでそんな落ち着いてるんだ!?!?逆にそっちの方が気になった。
 
話を戻して。結局その日は一階を開放して寝るスペースに、怖い人は外で寝てよいということになった。いくら4月の熊本といえど外は寒かったけど、屋内に入るのは怖かったので、私は外。人生初☆野宿(もちろん当時はこんなテンションではない)。
 
幸い電気も通ってたので、ドラムコンセントをひいてポットを用意してインスタントの温かい飲み物も飲めたし、携帯を充電することもできた。災害用毛布は、見た目が薄いわりに体を包み込むようにくるまるとかなり温かかったが、布団のように敷くと見た目通りの防寒力だった。あれはくるまるのが正しいのかも。
 
夜はもちろん寝つけなかった。余震は高い頻度でくるし、全然間に合ってない緊急地震速報は鳴るし(震源が浅いから間に合わないらしい)、アスファルトの上だし、寒いし。
でもそんな時でも私はジャニオタだった。0時を回るとすぐさまラブセン*1を開いてVみくじ*2をひいた。Twitterを見ると地震情報で少し気が滅入ったりしたので、アルバムを開いて900枚超のすばるくんの画像を眺め、見惚れていた。なんかもう、こんなときだけど、すごい幸せだった。今この瞬間もすばるくんは美しいんだなと思うだけで勇気がわいた。いや初老顔してたかも知らんけど。
 
ジャニオタやってると、思いもよらないところから元気になるからやっぱり楽しい。ちなみにこのときのVみくじの結果は長野さんの凶だった。いやわかってるわ。今までの人生最大の凶日だわ。
 
そうして突如自分が「被災者」になって戸惑ったものの、負けず嫌いとジャニオタパワーでなんとか乗り切った1日目の夜だった。
 
 
 
 
 
日が昇って部屋に帰ることになった2日目。部屋は物が散乱していてため息をついたが、よく考えれば元からこれぐらい汚かった。つまりは大きな被害はなかった。な、泣いてねーし!
 
Twitterでは、前の時も大きい地震のあとさらに大きい本震が起こった、昨夜のは前震でまた強い揺れがくる恐れがあると噂が飛び交っていて、かなり気が滅入っていた。
 
元々性格はかなりのビビリで、特に自然災害系は一番ダメだった。それなのに昨夜落ち着いていれたのは何故だったのか。答えは1つ。大きい揺れの時に寝ぼけていたからだろう。
 
そんな結論にたどり着いた私はとにかく眠ることに決めた。明らかに判断ミスだし、寝ぼけて逃げ遅れたらどうするつもりだったんだろう。でも正直昨日1日眠れなかったし、その前日もなぜか眠れずいつも6時間近く眠っているところを3時間半ほどしか眠れていなかったので寝たくてしょうがなかった。起きて色々悪いこと考えて不安になるより、寝て時間を消費する方が精神的にも良い気がした。
 
「備えあれば憂いなし」というので、また揺れた時を考えて持ち運べるリュックを用意することにした。こういうの、日ごろから用意しとかなきゃいけなかったんだろうな……。とりあえずもう帰れなくなったときのために下着一式・野宿は思いのほか寒かったので靴下(ふくらはぎまで長さのあるもの)タオル懐中電灯ビニール袋Twitterで懐中電灯代わりになると教えてもらったペンライト(元気魂のタンバリン)充電器ケーブルウォークマン(ラジオが聞ける)財布ジャニショの公式写真を入れた。私の場合はこれで足りた。ジャニショの写真は携帯の電源が切れたときのための活力供給剤だ。あとは倒れそうな全身鏡や帽子掛けをあらかじめ倒しておいた。
 
このように準備して出入り口近くに置いておき、寝た。ぐーすか寝た。3,4時間ほど寝て、起きたらクロニクルか学校へ行こうかを見てゲラゲラ笑い、終わったら寝る。こんなことをしていたらあっという間に夜になった。ここまで寝る予定ではなかったので、一番不安になる夜は眠れないのでは、と思ったのを最後の記憶に大爆睡していた。自分でもびっくりする。前日あんなことがあったなら寝つけない気もするのに…。自分の心の逞しさというか図太さを知った。
 
そんな大爆睡をしていたから、夜中1時頃に起きた本震に気づくのも遅れた。言わんこっちゃなーい!
 
友人の話だとかなり長く揺れたらしいので私が意識を覚醒させたのは揺れ始めてしばらくたってからだったのだと思う。しかし、前震はウトウトしていた時にきたが、今回は大爆睡してる時にきたのだ。もう寝ぼけMAXである。窓が揺れる音なのか、とにかく音が凄かったので、私は大雨が降っているんだなと思ってた。毛布をしっかり頭にかぶりながらも、「地震のあとに大雨って散々やないかい!!」と思ってた。人間寝ぼけるとここまで判断力が鈍るもんなのか。いやたぶんそんなの自分ぐらいだと思う。
 
おさまってすぐ、部屋をノックされ「ああ、避難しなきゃ」とやっと頭が働きはじめ、この時明るくして寝たはずの部屋が暗かったので停電したことに気づき、慌てて上着を着てリュックを持って外に出た。ここで私はこの地震で最大のミスを犯す。携帯を持ち忘れたのだ。携帯を持たないまま外にでてきてしまった。
 
点呼をすませ、戻ろうにも余震がひっきりなしに起きていて部屋に戻るには危険な状態であった。前日携帯での情報共有のありがたみを実感したばかりだっただけに、これは痛かった。まず家族の安否がわからない。家族の携帯番号を覚えておけばよかったものの、まったく覚えていなかったので連絡手段がなかった。そして情報を得る手段がないので震度いくつかもわからなかった。周りの声に耳を澄ませるしかなかった。暇もつぶせなかった。せっかく(想定していた事態と違うけど)こういう時のためにと持ってきたジャニショの写真も、さすがにここまで人が近くにいる状態で見るのは気が引けた。単独行動厳禁だったためこっそり見ることも叶わず、ジャニオタ完全敗北した。あ、でも元気魂ペンラは形状が珍しいからちょっと人気だった。
 
私がこの一連の地震で一番怖かったのはこの日に起きた余震だった。恐らく震度6弱。立っていられないほどの大きな横揺れで、地面が揺れているのが目視できたほどだった。足はあれからしばらく震えっぱなしだった。一度大きいのがきたあとにまた大きいのがきたため、また次も来るかもしれないと。余震で揺れるたびにもっと大きくくるんじゃないかと怖かった。
 
外で集まっているときに気を付けたのは、話すときに伝える情報のチョイスだった。周りに人が集まっているので、隣の人に話しているだけでも聞くつもりではなかった子にまで聞こえてしまう。だから不安を煽るような、例えばここの家がつぶれたとか、絶対すぐ大きいのがくるとか、真偽が怪しい情報は絶対口に出せなかった。デマはこの日も絶好調で、3時に更に大きい揺れがくるっていうのが一番出回って、信じてはいなかったものの、正直3時から4時頃の一時間は気が気ではなかった。無駄に疲れた。デマ、ダメゼッタイ
 
結局この日は耐震しっかりしている学校の校舎に移ることになり、怖い人は野宿の許可がでたので私は外で寝ることにした。4時近くになって部屋に荷物だけ取りに帰れることになりヒビリながら携帯と枕代わりにバスタオルをとった。案の定かなり心配をかけていて申し訳なかった。前日しっかり準備したのに肝心の携帯を枕元に置いたまま忘れるなんてね…アホだな(そうだよアホだよ)*3…。
 
ぱーっとTwitterもさかのぼってると剛君の舞台が発表されてた。おーいおいおいおーい!地震でもなんとか落ち着いていられたが、これには取り乱しそうになった。
 
V6は担当として1人を選べない、1人を見ているうちに他5人を見逃すのが嫌だったので箱推しというスタイルをとっているが、それでもFCに入るときに応援している個人名に書いたのは森田剛の3文字だった。それは6人のなかで一番彼の個人仕事の現場に行きたいと思ったからで、私が舞台の世界に興味を持ったのは剛君の「IZO」と今まで彼が出演した舞台の感想ブログだったからであって、つまり剛君の舞台にめちゃくちゃ行きたかった。
 
そのときだけは恐怖とかぶっ飛んで、ただただ驚いて、東京でしかなさそうな事実に打ちひしがれ、8月というアバウトな日程に戸惑っていた。おいこんな時に、とも思ったがこんな時だからこそ希望になった。そうだ私はこのとき2週間後に長野さんのミュージカル「Forever Plaid」を控えていたし、剛君の舞台も発表されたし、頑張れ、これを乗り越えたら楽しいことが待ってるよと言われた気がして勝手にときめいていた。
 
携帯を持って情報を得られるようになったのはいいが、逆に情報を得すぎて怖くなったこともある。震源地が阿蘇付近で、噴火の危険性が叫ばれていた。一般人が言ってるだけと最初こそ気にしなかったが、煙が黒くなったと写真付きで投稿されたときは泣きだしそうだった。安心するために検索しても不安を煽るようなものばかりで(もちろんそんな意図でつぶやいているわけではないのだけれど)、今自分は死と隣り合わせなのだと感じたときは背筋が凍った。
 
避難してすぐはバタバタして考えきれなかったことが浮かんできて、眠ることなんてできるわけがなかった。「フォエプラも剛君の舞台もあるから頑張って生きる」とかなんとかつぶやいたけど、さすがに死亡フラグすぎて消した。あと、自分にもしものことが起こった時はなんとか信頼できるフォロワーさんに連絡して私のTwitterはてブロのアカウントをパスワードを伝えて削除してもらおう、とか考えてた。
 
 
 
 
朝になって、ご飯を食べに食堂へ。ありがたいことに私たちは3食どれも不足せず食べることができた。こんな大変なときでも働いている人はいて、そのおかげで私たちは生活できているんだって身に染みた。
 
TVを見るとやはりどこも熊本の報道ばかりで、やっぱり自分たちは被災者なんだなと実感する。CMも5年前はぽぽぽぽーんだったものがセトモノや「ひとりぼっちってどんな気持ち?」など絶妙に暗くなるACのCMばかりで、非日常だなぁってぼんやり思ってたら、
 
 
井ノ原さんが出演している日本郵政のかんぽさんのCMが流れて、
 
思わず泣いた。
 
 
井ノ原快彦さんは本当にズルい男ですね。あんなに周りの人も明るくしちゃうような笑顔を見せられてね。細い目をさらに細くしちゃって、見てるだけで幸せになりそうな笑顔が温かくて優しくて、ふわっと包み込んでくれるような気さえしてきて、涙が出てきた。
 
周りに人もいたからこらえたけど。結構落ち着いていたし、寝てはいないけど体はきつくはなかったから大丈夫だと思ってたんだけど、思ってたより限界に近かったのかもしれない。井ノ原さんの笑顔を見た瞬間、たぶん物凄く「安心」したんだと思う。「安心」して、そこで初めて「キツい」と思った。
 
アイドルが好きで良かったと心底思った。さっきから何度もオタクしてる事書いてて、こんな時に余裕あるんだなと思われているのかもしれないけれど、あの時私の大好きな人たちは確かに私にとっての希望の光だった。オタクしててよかった。こんなにも大好きな人たちがいるから、大好きな人たちをもっと見ていたいか、今日も明日もこれからも頑張ろうと思えた。
 
 
 
 
長くなったので一旦このへんで。次回後編、「終わらない余震、迫りくる舞台初日……果たして大好きなあなたに私は逢いに行けるのか!?」 

sausgkj8.hatenablog.com

 

 
 
 

*1:ラブセン~V6と秘密の恋~:V6と恋愛できるという斬新な設定の最近やたら色々なところに広告を出している乙女ゲーム

*2:ラブセン内のコーナー。1日1回ひくことができ、大・中・小・凶×6種とトニ吉・カミ吉がランダムで出る

*3:パークマンサー

渋谷すばるの演技年表

 

2年目のソロツアーも始まり、また名曲ばかりのカヴァーアルバムを出したことによる露出、関ジャムやクロニクルで意外な一面を見た、などで「渋谷すばるが気になっている」人を最近見かける。

なので自分の勉強もかねて、春休みの自由研究と称し、渋谷すばるが今までどのような仕事をしてきたのか、演技面に絞ってまとめてみることにした。

ここで紹介するのは「関ジャニ∞」名義でなく「渋谷すばる」名義のもの、としているので「エイトレンジャー」シリーズや「パパドル!」、またJr.期の「Another」など「関ジャニ8」くくりで出演していた松竹座時代の公演は割愛させていただく。

ほぼインターネットで公式サイトや先人たちの感想を元に作っているので、間違っている箇所があればコメントや私のTwitterにでも連絡していただけると嬉しいです。

 

 

・1981年9月22日

誕生

 

・1996年9月22日

ジャニーズ事務所入所

 

・1997年8月~

舞台「KYO TO KYO

わらべ 

97年と98年に夏から半年ほど今日とのシアター1200で行われた舞台。ストーリーは今日との歴史を音楽劇のようにしたものらしい。1日5回公演で、完全に休みの日は月に1度の鬼畜スケジュール。

ちなみに京都の舞台に出れるということで関西ジュニアに応募が殺到したとか、終わっても次に繋がらなかったため辞めるジュニアが多かったとか、それで残ったメンバーが現関ジャニ∞として活躍してるとか…。

2015年3月7日のイフオア*1MCによると、そもそも三馬鹿のオーディションは京都にでてこれる子を集めたものだったらしい。これからするとKYO TO KYOに出れる関西の子を募集しオーディション→合格し事務所に入所した子は舞台に→舞台終わった後仕事がなく辞める子多数→残った子を集めて関西ジャニーズJr.結成?

渋谷の役は98年KYO TO KYOパンフレットによると「浴衣を着てじゃんけんをする”わらべ”」。上記イフオアのMCによると浴衣着て下駄履いて、おいでおいでしたら弁慶が出てきて驚いてはける、というものらしい。

ジャニーズ・ファンタジー KYO TO KYO ’97夏公演 [VHS]

ジャニーズ・ファンタジー KYO TO KYO ’97夏公演 [VHS]

 

 

 

・1997年12月

舞台「MASK」

(?) 役

サマーコンサート終了後の楽屋で突然ニューヨークへ行くと言い出すサカモト(坂本昌行)。冬に舞台「MASK」が決まっていたため、止めようとするオカダ(岡田准一)とイノハラ(井ノ原快彦)。しかし声も届かずサカモトは旅立ってしまい、2人は苦悩する。なんとか代役を立て上演するも、オカダが倒れてしまう。実はオカダは病に冒されており、サカモトはそれを知っていて休ませるためのニューヨークへ行ったのであった……

結末を言ってしまえばオカダは死んでしまい天国でMASKを見ることになるが、実はすべてオカダの夢であるという壮絶な夢オチ。

元は少年隊主演の舞台で、V6の坂本、井ノ原、岡田を主演に再演したのが97年MASK。この後タッキー、光一くんへと引き継がれていく。

すばるくんの役は探しきれなかった…恐らく役をもらっていないと思ってるけどどうなんでしょうか…

 

 

・1998年4月~

舞台「KYO TO KYO

再演。すばるくん含め現関ジャニメンバーがメインクラスに。初めて渋谷をソロで出した場所らしく、「スリラー」「愛してる 愛してない」などを披露。これが後述のMステに繋がってくることになる。「愛してる~」は棺からでてくる演出のやつです。

 

 

・1998年6月26日 

MステジャニーズJr.出演。すばるくん「愛してる 愛してない」を披露、そして伝説へ。ちなみにこれはNO棺。

 

 

・1999年4月~6月

ドラマ「あぶない放課後」

田中 春 役

ジャニーズJr.の二宮和也渋谷すばるのW主演で贈る学園ミステリー。親の再婚で義理の兄弟になった男子高校生2人が、学校で起きる怪事件に挑む。

 (「VIDEO INSIDER JAPAN」データベースより)

 嵐の二宮和也さんとW主演で、ヒロインは加藤あいさん。原作は『のだめカンタービレ』の作者で知られる二ノ宮知子氏の『転載ファミリー・カンパニー』。V6の「Believe Your Smile*2」を渋谷がカバーして歌ったものが主題歌となっている。

あぶない放課後 vol.1 [VHS]

あぶない放課後 vol.1 [VHS]

 

 

 

・1997年7月4日

ドラマ「怖い日曜日」第1回「8mmビデオの中の少女」

「怪談百物語の会主宰」と称したナビゲーター(横山裕亀梨和也、佐藤崇、長谷部隼)が番組を進行。視聴者の心霊体験を投稿してもらい、オムニバス形式でジャニーズJr.が演じるドラマとして紹介する体裁をとっていた。

渋谷が出演した第1回は後に総集編でも放送されている。ホラーが苦手なのでストーリーは勘弁してください…。

 

 

・2000年1月~3月

ドラマ「行け行けイケメン!

ハル 役

私立セントファビュラス学園に所属するリュウイチ(村上信五)、ハル(渋谷すばる)、ヒロ(横山裕)のイケメン3人組が生徒達の平和な学園生活を守るために、学園内にある百葉箱に入れられた依頼の手紙を受けて、いかなる事でも解決していく学園ドラマ。

三馬鹿が主演をする今となっては考えられないドラマ。09年6月4日のレコメンにて3人にこのドラマについて言及されている(当時衣装来てコンビニ言ったら「イケメンでしょ!」と声かけられた、すばるがふざけたのにヨコが怒られてた、など)。「イケメン」という言葉が普及し始めたのが00年の頃なので、言葉の浸透に一役買ったと言える。監督の松田秀和氏は07年7月放送の『花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~』も担当しており、後に横山さんは監督に「あれやったからイケパラもとれたんだよ…冗談だけどね」と言われたらしい。*3ちなみにプロデューサーの萩野哲弘氏は「ヤスコとケンジ(大倉出演)」「有閑倶楽部(横山出演)」も担当。

 

 

・2000年2月8日

ドラマ「大地の産声が聞こえる 15才いちご薄書」

坂本英輔 役

中学3年生の少女が家族4人と共に郊外に引っ越しをするが、そこは今までとは全く違う田舎の古い農家。思春期を迎えて自分の生活環境に疑問を抱きながらも、少女は次第に大自然の中で大きく成長していく。カネボウヒューマンスペシャル第20弾。

 榊田いちご(池脇千鶴)は高校受験を控えているが、家族の絆と自然を大切にする教育方針によって、夕食作りや妹の世話など家事の手伝いをさせられている。これに反発するいちごだが、優等生として受験勉強にまい進していた友人・英輔の死、父・和馬(赤井英和)と同行した母親の故郷への旅を通して、両親の生き方を理解していく。そして母・多恵子(浅野ゆう子)が4人目の子供を自宅で出産するのに立ち会ったいちごは、生命の力強さに圧倒される。

(放送ライブラリーより)

 カネボウヒューマンスペシャルの第20弾で最終作。芸術祭賞(第55回優秀賞)、日本民間放送連盟賞(第48回ドラマ番組部門優秀)を受賞。渋谷が優等生役と少し驚くキャスティング。お金持ちで優等生だけど親との確執などもあり最後は入水自殺をしてしまう。悲しい。

 

 

・2001年1月7日

ドラマ「史上最悪のデート」5th DATE「占いオトコの爆弾地獄」

今井 慎太郎 役

占い好きのオトコ・今井(渋谷すばる)の桜井さん(山川恵里佳)とデートする今日の運勢は最高のラッキーデー。告白しようと意気揚々と出かけるも、子供にボールを当てられたり、ハチに刺されたりと散々。しまいには爆弾魔に捕まってしまい……

相葉雅紀さんがデートキングとして相談・情報パートの進行、ドラマパートをジャニーズJr.および嵐が「史上最悪のデート」を1話完結で演じる3部構成。渋谷が出演したのはこの第5話で、アフロヘアーオチというところで内容は察していただきたい。

 

 

・2001年9月24日・28日

ドラマ「プラトニック・セックスー娘の叫び!親の涙…そして親子の闘いが始まるー」

吉村 卓 役

 ベストセラーとなった原作の裏に隠されたもう一つの物語。互いの愛情を確認できず苦しむ親子の数年にわたる壮絶な記録を2夜わたって送る。

15歳の加奈(星野真里)は、ろくに学校にも行かず恋人・卓(渋谷すばる)や、親友の千佳(浜丘麻矢)らとつるんで、カツアゲをしたり、シンナーを吸うなど始終カウンセリングの世話になるような生活を続けていた……

飯島愛が自らの半生を赤裸々に綴ったベストセラー小説「プラトニック・セックス」をドラマ化した作品。 第1部:17歳の青春編「家族崩壊から愛を取り戻すまでの涙の7年間壮絶記録」と第2部:20歳の純愛編「AV・中絶・裏切り…愛を求め続けた家族の再生記録」の2部構成。渋谷演じる吉村卓は主人公の彼氏であり、学校に行かず遊んでたりカツアゲしたりとかなり素行の悪い役。喧嘩した際に父親を負傷させ、少年院送りになる。濡れ場が多いので要注意。

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・2002年12月

関ジャニ8結成

 

・2004年8月25日

関ジャニ∞として関西限定CDデビュー

 

・2004年9月22日

全国デビュー

 

・2005年2月~

舞台「NEVER GONNA DANCE

スバッド役

ヴォードビルの花形ダンサーだったラッキー・ガーネット(坂本昌行)は、ひょんなことから自分の結婚式に遅刻してしまう。激怒した婚約者の父親から再度結婚を認めてもらうために出された条件は、ダンス以外の方法で1カ月以内に25,000ドルを稼ぎだすこと。条件達成のためニューヨークに向かったラッキーは、ダンス講師のペニー・キャロル(紺野まひる)に出会う。ペニーに一目惚れしてしまったラッキーは彼女とコンビを組み、賞金50,000ドルのアマチュアダンス大会に出場するのだったが……。

 1930年代、黄金のダンスコンビとうたわれたフレッド・アステアジンジャー・ロジャース主演の映画「スイング・タイム」が『NEVER GONNA DANCE』とタイトルを変えた舞台版。トニー賞最優秀振付賞に、オリジナルの振付家ジェリー・ミッチェルノがミネートされたことでも話題。

主人公ラッキーのライバル役が渋谷演じる黒人ダンサーのスバッド。アマチュアの大会に出場しているものの実はプロ、という役なので大変だったんじゃないかな…。舞台映えするように太らせようと、坂本さんがすばるくんの昼飯を作ってあげてたとか、でも舞台が始まったら緊張で日に日に痩せていったとか…。

 

 

・2006年12月28日

ダブル(複体)

スバル/昴 役

天才ピアニストとしてニューヨークで活躍するスバル(渋谷すばる)は、3年前に日本で誤って女性を轢いてしまった過去を持つ。久しぶりに日本へ戻ってきた際に、当時の恋人と仕事先で再開する。しかし、日本に戻ってきて以来、自分に覚えのない写真をマスコミに撮られたりするなど、不可解なことが多々起こる。まるでスバルが二人いるかのように…。

(Wikipediaより)

関ジャニ∞青春ドラマシリーズとして「ダイブ・トゥ・ザ・フューチャー(村上主演)」「蹴鞠師(横山主演)」と共に放送。マネージャー役に丸山さん、パーティーに出席していたドラマーに大倉くん、FM曲の人気DJに安田さんと、関ジャニ∞メンバーが脇を固めている。 

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 ・2008年1月~2月

舞台「「未定」壱」

村上信五渋谷すばるの松原.コンビによる2人劇。ジャニーズを野菜に例えたり、後輩にドッキリメールを送るVTRや、10分間の即興コント、BLオフィスラブコント、村上さんの落語にすばるくんのハゲ面フライングなどコント盛りだくさん。なのでストーリーはないが、最初と最後の楽屋セットのやり取りで、実はすばるくんのオカンが入院していて…という少し感動要素の入った劇がある。この翌年度から始まる村上さんの一人舞台「If or…」シリーズの原点ともいえる。

 

 

・2008年10月7日

ドラマ「ありがとう、オカン」

高村 幸也 役

 大阪・西成のとある高校の卒業式。屋上でサボっている高村幸也(渋谷すばる)とは反対に、卒業生代表で答辞を読む葉山虎太郎(村上信五)。そんな虎太郎に声援を送っているのが西田華子(大竹しのぶ)だ。華子は夫の死後、従業員の庄内(六平直政)らと西田製作所を営みながら、事情があって親と暮らせない子供たちを引き取り里親をしている≪名物オカン≫。現在は実子の紀世子(戸田恵梨香)と里子である幸也と虎太郎、他に幼い2人の里子たちと暮らしていたが、幸也と虎太郎は卒業・就職を機に、1人暮らしを始める。そんな西田家に児童相談所職員の長谷川照雄(大杉漣)と永坂万梨子(石田ゆり子)が、父親のトラブルが原因で身寄りのない入江敦史(加藤清史郎)を連れてやってきた。知らない大人に囲まれ不安な敦史は、冷蔵庫の食べ物を食い散らかしたり、わざと食器を割ったりと反抗するが…。
 養子縁組とは違い、本当の親子ではない。ただ一時期、一緒に暮らすだけ…。バラバラになってしまった里親と里子たち。「親子の絆」の行方は…? 

(フジテレビ公式サイトより)*4

 関西テレビ放送開局50周年記念ドラマ。09年に平成21年度日本民間放送連盟賞番組部門・テレビドラマ番組優秀賞を受賞。「里親家族」をテーマにしたヒューマンドラマ。挿入曲として劇中で渋谷が「手紙」「TELL ME」を歌っている。

関西テレビ開局50周年記念ドラマ ありがとう、オカン [DVD]

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・2009年9月~10月

舞台「DREAM BOYS」

スバル(チャンプ) 役

1999年に一世を風靡した人気アイドルのカズヤ(亀梨和也)、スバル(渋谷すばる)、ユウヤ(手越裕也)の3人。それぞれのやりたい道を進むために解散。10年後の2009年、ボクシングでチャンプになったスバルをモデルにした映画をカズヤを主役に撮影することになったが、スバルの反発で撮影は進まない。決着をカズヤとスバルのボクシングの試合で決めることになったが、カズヤのグローブに仕込まれた鉛の板によってスバルは倒れてしまう……

初年の滝沢秀明主演から亀梨和也さん、玉森裕太さんと主演が引き継がれてきたジャニーズ舞台。09年ドリボは亀梨さん、すばるくん、手越裕也さんを中心に展開。「歌姫競演」と言われるほど歌唱力が高い3人が集まっている。横山さんがジャニーさんに「すばる、ドリボやるかな?」と相談されたのはこのドリボ*5

 

 

・2011年8月20日

ドラマ「生きてるだけでなんくるないさ

木下 大輔 役

将来に何の不安もなく気ままに過ごしていた一人の青年・石嶺栄作(村上信五)、25歳。ある日、栄作は「数十万人に一人」という症例の少ない悪性腫瘍と診断される。想像を絶する辛い抗がん剤治療と、死ぬかもしれないという恐怖に苦しみ自暴自棄になってしまう栄作。

そんな彼を救ったのは、どんな時も寄り添い続けた恋人・美香(田中麗奈)、そして、母、祖母、友人ら、周りの人々の支えだった。病気と向き合い、腫瘍摘出の手術も無事終えた栄作は、あらためて普通に生きていられることの大切さに気づく。

しかし、病気はまだ栄作を許してくれなかった。半年後、悪性腫瘍が再発してしまい……。

(公式サイト*6より)

2011年の24時間テレビ内で放送されたスペシャルドラマ。原作は玉本栄作著の同タイトル。

渋谷が演じる木下大輔は、中学時代から一緒の悪友で、栄作を励まし、栄作が美香に話しづらいことも話せるかけがえのない存在。

 

 

・2015年2月14日

映画「味園ユニバース」

大森茂雄/ポチ男 役

大阪。広場で行われていたバンド【赤犬】のライブに、ふらふらと現れた男(渋谷すばる)。マイクを奪い、声を放つや、会場は水をうったように静まりかえる。圧巻の歌声! そのまま気を失った男だったが、目を覚ますと自分のことを何も覚えていないという。記憶喪失。傷だらけの顔。その正体と歌声に興味を持った【赤犬】マネージャーのカスミ(二階堂ふみ)は、彼を“ポチ男”と名付け、祖父と暮らす自分の家に住まわせながら、バンドのボーカルに迎えようとする。しかし、フラッシュバックで少しずつポチ男の記憶が蘇る―「俺は、危険かもしれない」。それぞれの中で止まっていた時間が、また動き始める。 

公式サイト(映画『味園ユニバース』)より))

 渋谷すばる初単独主演映画作品。主題歌の「記憶」「ココロオドレバ」でソロデビューも果たす。この映画のために長かった髪を30cmばっさり。撮影以後もバリカンで髪を剃ることにハマり、アイドルには見えないぐらい頭皮が見えるほどの坊主にし、1年弱のあいだ頭髪事情でファンを惑わせた。

第19回ファンタジア国際映画祭にて最優秀主演男優賞と最優秀脚本賞、第10回KINOTAYO現代日本映画祭にてソレイユ・ドール観客賞(金の太陽賞 グランプリ)、おおさかシネマフェスティバルにて監督賞・撮影賞・音楽賞・日本映画ベストテン(作品賞)3位を獲得。その他ウディネ・ファーイースト映画祭コンペティション部門、第44回ロッテルダム国際映画祭スペクトラム部門モスクワ国際映画祭、アメリカ・ニューヨークアジア映画祭、スコットランドエジンバラ国際映画祭など多数海外映画祭に出品されている。

味園ユニバース 通常版 [DVD]

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味園ユニバース 初回限定 [Blu-ray]

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以上である。演技仕事を避けていただけに、デビュー後の仕事の間隔が広い。私はここには紹介していない「エイトレンジャー2」で渋谷が演じる渋沢薫の儚い表情に惹かれてオタクになった身であるので、彼の演技が大好きだ。彼の見せる複雑な表情が好きだ。いつかまたお仕事をしてくれないかと心待ちにしている。

 

去年、初めて主演映画というものをやらせていただいて、そっからソロ活動というものが始まったんですけども、なんか、今までやったことなくて。やったことないことから得る物ってすごく大きいなってあって。なんかそういうものをやってみたいってのはありますね。まあ映画ならまた全く違った役柄…映画じゃなくてもいいんですけど。

(16年2月20日 ラジオ「SAPPORO BEER OTOAJITO」より)

16年2月時点で、演技仕事に対しても前向きな姿勢であったことを私はしつこく覚えていようと思う。

 

*1:村上信五一人舞台『If or... Ⅶ』

*2:1999年3月31日発売

*3:09年6月11日レコメン

*4:ありがとう、オカン - フジテレビ

*5:09年6月4日レコメン

*6:生きてるだけで なんくるないさ|トップページ

V6 LIVE TOUR 2015 -SINCE 1995~FOREVER- 感想

 「V6 LIVE TOUR 2015 -SINCE 1995~FOREVER-(以下フォエバコン)」を見ました。

まさにV6の20周年、20年間の集大成だった。20年の歴史をディスク2枚にぎゅっと詰めたようなライブ。これからV6に興味を持った人には迷わずこのDVDをオススメしたい。

 

 

人気曲ばかりの贅沢な前半パート

今回のセトリにはファンの人気投票が反映されている。V6楽曲大賞1995-2015

を見ていただければわかるように、Air,Supernova,HONEY BEATなどファンから圧倒的な支持を持つ楽曲が前半に集められている。ここで推したいのは、ただ人気曲を集めただけではなく、新たな演出と共にがっつり披露してくれているところだ。

『Supernova』は11年セクバニコン*1と13年OMGコン*2で披露され、2パターンの振付が存在するのだが、今回のフォエバコンではそれをミックス。1番をOMGコン振付、ラスサビからセクバニコン振付となっており、さらに間奏部分ではレーザーライトを操る演出がプラス。これが3曲目にぶちこまれるんだからたまったもんじゃない。

人気曲というのはコンサートでの演出が大きな要素になっており、アルバム曲やカップリングが多い人気曲ではリリース年のコンサートで披露されたきり、翌年には簡略化されて披露という形が多く、好きなのにもう見れないという事態が起きる。しかしアニバーサリーの力は強い。あの人気曲を再び、しかも当時の演出を踏襲しながらも「今」のV6が魅せる新たな演出がプラスされている。つまり、好きな曲に2パターンの演出が存在することになるのだ。ありがたい。

 

 

DANCE!DANCE!DANCE!!

とにかく踊る!踊る!前半人気曲を固めたらずっと踊っていた。平均年齢当時約39歳が前半16曲中振りがあるものという基準でカウントすると13曲踊っている。後のインタビューで森田さんが「しゃがむのがきつい」と言っていたが、しゃがむのがキツくなっている人たちが踊る量なのかこれは。そしてこの量を立ち位置含め覚えていることがすごい。メイキングにて坂本さんが「曲が流れると振りと立ち位置が勝手に出てくる」とどうやら体で覚えているようだが、ダンス経験のまったくない私には想像もつかない領域である。V6のダンスの特徴は細かい振りと目まぐるしく変わるフォーメーションだと思っているので、これが堪能できてかなり楽しい。

 

 

圧巻の演出

V6のコンサートといえば光の演出が特徴的である。VIBES*3やOMGコンで使用された一部ファンから「エロパスタ」と呼ばれる発光するゴム(?)や、メンバーカラーのピンスポが淡く柔らかく照らすREADYコンのAir、V6 SUMMER SPECIAL DREAM LIVE 2003では日本照明家協会賞新人賞を受賞している。

そして今回もV6の照明チームは素晴らしかった。レポで「変態照明」という言葉が蔓延しており、入っていない私には何のことかわからなかったが、実際映像を見てなるほど変態照明だと、極めすぎたことに対する称賛としての変態だと理解した。

何よりも特徴はセンターステージの上に円形に並べられた鏡。この鏡の角度を変えて光を反射させることにより、自在な光の動きを魅せている。こんな具合に。

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私が特に綺麗だなと思ったのが『涙のアトが消える頃』の演出で、この曲が初めてこの鏡が効果的に使われた場面だったと思う。センステにぽつんと置かれた白い椅子と、それを囲む6人。誰も座っていない椅子に語り掛けるように森田さんが歌いだして始まるのだが、白い柱が伸びてきたと思ったら照明だった。な、何を言っているのかわk(ry。白い柱の正体は鏡に光を垂直に当てたことで反射光も真っ直ぐになるためにできた光の柱であった。体の半分を過ぎたころになってやっと光だと気付いた。光の柱でできた柵に囲まれた6人は、もう誰もいない椅子を見ながら、彼女に心が囚われているようすを表しているような、この曲の世界観に合わせた光だった。

もちろん凄いのは照明だけではない。個人的に感動したのはモニターの映像と6人の動きのリンク。『Air』で坂本さんが伸ばした手に、暗転して再び明るくなったときには赤い花束が握られているという演出があるのだが、この時の映像が「光が坂本さんの手の位置に降りてくる」「花束を持った6人が歩き出すタイミングで光が点から広がる」と、サプライズ演出を見事に支えている。

他にもカミセンの『キミノカケラ』では、白黒で始まった世界が、ラスサビ前で三宅さんが指を鳴らすと世界に色が灯る。この指をならすとき、伸ばした三宅さんの腕の位置を爆心地として周りに色を灯していくような映像になっている。おかげでさながら三宅さんが世界の創造主、色を灯す魔法使いのようである。美しい。

そんな洗練された演出がぎゅっと詰まっているのが前半ラストの『SP "Break The Wall』。レーザーが6人を貫くところから始まり、先ほど紹介した鏡はもちろん、会場内の全ての照明が使われているのではないかというぐらい降り注ぐ嵐のような光。SPのあのテーマが流れると共に緑のレーザー一色で染まる会場。細かい歌割りに対応してきっちりと中心に当ててくるピンスポ。そしてまた降り注ぐ嵐のような光。最後に手にもったレーザーでバックのツアーロゴを照らすところまで息もつかせぬ圧巻の演出である。

そしてその後MCタイムのためにステージが照らされるのだが、スタンドに設置されているモニターがステージまで光を運ぶような映像になっていたりと芸が細かい!w

 

 

怒涛の39曲メドレー "39 Symphony"

MC後、後半からはノンストップでシングル39曲を繋ぐ『39 Symphony』が展開される。10周年を思い起こさせる『Orange』に合わせて、英語詞が効果的に流れるイントロ。『Sexy,Honey,Bunny!』の冒頭での坂本さんの「Sexy!」を他メンバーが奪うセクシー泥棒芸に、『kEEP.oN』で三宅さんを押し倒す岡田さんと笑いどころもアリ。かと思えば第5楽章で『君が思い出す僕は 君を愛しているだろうか』をアカペラで聴かせる、平均歌唱力の高いV6ならではの演出。そこから始まる『Timeless』『Sky's The Limit』と最新曲を黒スーツで踊る姿は眩しく、『ROCK YOUR SOUL』のイントロから自然な流れで繋がれる『TAKE ME HIGHER』にテンションは超MAXである。

最終楽章である第6楽章はデビューして9ヶ月のV6が作文を読んでいる映像中の、三宅さんの「V6ってすごいじゃんと言われる大人になりたい」という言葉から歌いだす『出せない手紙』で始まる。モニターに映るデビューしてすぐの自分たちを見た後客席を振り向いて歌いだす演出がずるい。「V6ってすごいじゃん」は私が何度もこの20周年で聞いた言葉だ。自分でも何回言ったかわからない。あの時三宅さんが思い描いた景色は、20年後の今手にしているのだ。

このライブでは今までリリースしたシングルすべてが披露されている。シングルというには、「思い出の曲」になるものだと思っている。ハマった当初の最新リリース、ファンになって初めてリリースされたシングル、V6が気になったきっかけの曲。露出が多いシングル曲だからこそ思い入れはたくさんある。20周年を記念したライブ、好きになった時期もバラバラなファンが詰めかけているなかで「思い出の曲」が披露されるというのは嬉しいじゃないか。シングルは年表だ。その曲に当時の思い出が詰まっている。そんな曲たちを全部披露してくれたV6、それを可能にしてくれた39 Symphonyをつくったにしこりコンビ*4に足を向けて眠れない。

 

 

 愛に満ちたライブ

他担にこのDVDをオススメするのは結局ここが大きなポイントになると思うが、今回は11/1をノーカットで収めているためMCもノーカット、つまりゲストが登場したMCもそのまま収録されている。この日観覧に来ていたジャニーズはTOKIO生田斗真Hay!Say!JUMP戸塚祥太さん。この全員がMCでステージにあげられていたので、坂本さんが「これで特番何本できるんだろう」と言ってたぐらいに豪華だった。Mステスペシャルかな?と思った。しかしこの観覧に来た人たちはV6と密接なつながりがある。TOKIOはほぼ同期でジュニア時代からの付き合い、嵐と斗真さんはジュニア時代バックについていた「V6チルドレン」、JUMPは24時間TVで一緒にメインパーソナリティを務め、戸塚さんは井ノ原さんと「百識王」「モウソリスト」で共演しており、戸塚さんと井ノ原さんの対談が雑誌に載ったことも。こうして大事な日にグループ全員で見に来てくれたり、他の日にもたくさんの後輩が観覧に来てくれるのはV6の人柄ゆえ。彼らが20年築き上げた友情や信頼が、たくさんの後輩の観覧に繋がったのだろう。愛されている。

このライブの特徴は「おめでとう」「ありがとう」の多さである。客席からはたくさんの感謝とお祝いの言葉がかけられ、それに6人はたくさん「ありがとう」と言っていた。その他スタッフも井ノ原さんの「スタッフ楽しかったですか?」の問いかけにせーので「20周年おめでとう」と叫んでくれたり、リハでケーキを用意したり、ステージから降りた6人を長い長い垂れ幕を持って待っていたりと、スタッフもまたたくさんお祝いしてくれていた。そんなたくさんの「おめでとう」「ありがとう」が形になったのが、トリプルアンコールであった。

 

 

『 たどり着いて見えたものは love in the sky 』

このツアー中、ファンとスタッフからV6へのサプライズとしてリボンメッセージを募集していた。メンバーに秘密にするために、SNSなどへの投稿は一切の禁止。こうして集まった20万通ものリボンは、11/1にV6へリボンシャワーとして降り注いだ。

「もう一度だけ君のもとへ 愛をこめて行くから 胸いっぱに溢れる心意気を見せよう 力をこめて抱きしめたらもうずっと守り続ける 決して離しはしないもう二度と」と歌う『愛をこめて』のインスト共に空を舞うV6への「愛」。必死に空中のリボンを掴もうとしたり、立ちすくんで見上げたり、正座して一心にメッセージを読んだり。たくさんの愛に包まれたV6。

「まみれよっ」と長野さんがリボンの上に寝ころび、それに続けて6人全員がステージの上に寝ころぶ。井ノ原さんは「今日はここに泊まるぞー!」なんて言いだしたり。そんな中、三宅さんがおもむろに取り出したスマホで写真を撮ることになって、「それじゃ3人しか入ってない!」「お前あの長い棒みたいなの持って来いよ!」「もっかい!ブサイクな人がいたら後から困るじゃん!」「ごぉはやく入ってよー!」「首がいてぇんだよ!」と口々に言い合いながら円形に並んで写真を撮る。その6人の姿があまりにも美しかった。初めてその場面を見たのはテレビ誌のライブレポート。Twitterのレポでそんなことがあったのは知っていたが、ここまで綺麗な円形を描いているとは思わなかった。あまりにも綺麗で、愛に囲まれているV6が美しくて、うっかり泣きそうになった。だから私はここが映像化されるのを心待ちにしていた。彼らはどうやってあの美しい円形を描くに至ったのか。

結果はなんてことなくて、示し合わせたわけでもなく並んでいただけだった。自然と作り上げられた円形だった。私の心をうったあの円形の美しさこそが、20年共に同じグループとしてアイドルをしていたから、どんな苦難も逆境も乗り越えて、誰一人欠けずにここまでたどり着いた証だったのだ。

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おめでとうと、ありがとうと、これからも

とにかくこのDVDをたくさんの人に見てほしい。それで好きになってもならなくても、とにかく見てほしい。20年V6が歩んだアイドルとしての道を目撃してほしい。そんな気持ちになった。

20年が奇跡と言うなら、30周年はなんと呼ぶのでしょうか。40周年はなんと呼べばいいんでしょうか。まだまだ僕たちは走り続けていきますので、ずっと僕たちを応援して支え続けてください。

坂本さんは、挨拶でこのように言った。グループ最年長でリーダーの彼がこう言った。20周年は決してゴールではない。6人は10年後、20年後を見据えている。きっと彼らならたどり着ける。そしてまたたくさんの愛に包まれるのだ。

私も、彼らを包む愛の一つになりたい。そう改めて思った。ありがとう。おめでとう。これからもよろしくお願いします。

 

 

 

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世界中の花をもって 君に愛されに来たんだ

『ユメニアイニ』

 

 

*1:V6 live tour 2011 Sexy.Honey.Bunny!

*2:V6 live tour 2013 Oh! My! Goodness!

*3:V6 LIVE TOUR 2008 VIBES

*4:西寺郷太とcorin.。『Sexy.Honey.Bunny!』『kEEP.oN』『POSON PEACH』を制作。

渋谷すばるのマンピーは凄いぞ~カヴァーアルバム「歌」感想~

 渋谷すばるソロカヴァーアルバム「歌」を聞きました。

歌(初回限定盤)(DVD付)

歌(初回限定盤)(DVD付)

 
  1. スローバラード
  2. マンピーのG★SPOT
  3. ファンキー・モンキー・ベイビー
  4. First Love
  5. 元気を出して
  6. 君がいないから
  7. 言葉にできない
  8. SWEET MEMORIES
  9. オモイダマ (「歌」ver.) (通常盤のみ収録)

 

楽しい。このアルバムは楽しい。イヤホンで音量を思いっきり上げて聞いた時の、渋谷すばるの歌声に包まれる充足感といったらたまらない。全ての楽曲が一発録りで収録され、おそらく極力加工を避けたのだろう、ありのままの収録した日の空気がそのまま閉じ込められているため、臨場感がある。すぐ目の前で演奏されているような心地。さすが、「ライブ」にこだわる渋谷すばるがソロ名義で初めて出したアルバムだ。

 

一曲目のスローバラードから込められた熱量に震える。この曲は去年の音楽番組coversとソロライブで披露されており、私としては一番聞き覚えのある楽曲であるが、音源になるとここまで変わるのかと驚く。確かにどの時もこの曲を熱く熱く歌っていた彼ではあったが、私はこの音源が一番熱を持っていると感じた。ライブ音源よりもだ。それは1年を通して渋谷すばるが更に進化したことの象徴のようであり、そんな曲を1発目に持ってくるのだ。悪い予感などかけらもない。特に最後の火炎放射のようなシャウト。彼の特徴である強いビブラートをこれでもかと効かせたこれで私は一曲目から燃やしつくされたのだ。

 

そして記事タイトルにもしたマンピーのG★SPOT。所謂エロ曲、それも官能的な美しさを表現したわけでもなくただただマンピーと叫ぶ曲であり、ジャニーズアイドルがカヴァーしていいのかという声も出そうだが、渋谷すばるのマンピーは一味違うぜ。オフマイクからメンバーみんなテンションが上がりきってることが察される中で始まるイントロと「マンピー!」の掛け声。よく演歌のようだと言われる彼の声がエロ曲によくマッチする。少しのねちっこさとそれを脇から共に寄り添い押し上げるコーラス隊の声。このアルバムにおいてコーラス隊の役割は大きく、彼らの声で一気に天上まで押し上げられたテンションで、サビは拳を挙げずには、手を叩かずにはいられない。大サビ前の絞り出すような「Gスポット」の声は至高。

 

そんなマンピーで押し上げられたテンションのまま突入するファンキー・モンキー・ベイビー。マンピーで頂点まで達したと思ったテンションにはその上があって、その上のところでずっと踊り狂わされるような、そんな曲。ブルースハープの音色も力強く響いて楽しい。大サビ前の「君は」でのバンドメンバーとの掛け合いでいい雰囲気なことがわかる。実際初回盤に付属しているDVDにはレコーディング風景が収録されており、バンドメンバーと渋谷が信頼しあう関係を築き上げていることがわかる。昨年のソロライブから引き継がれているメンバーもいれば、新しく渋谷すばる BANDとなった方も。みんながみんな音楽に対し真っ直ぐで、その真っ直ぐな熱をそのまま込められたのがこのアルバムなのである。

 

4曲目にくるFirst Loveで雰囲気ががらっと変わる。たぶんこのアルバムでは意図的に前半と後半で雰囲気を変えているのであろう、この曲が境目である。今までテンションが上がるとずっと言い続けていたので、「そんなの求めていない」という人もいるだろう。そんな人もここから続く楽曲を聞いてほしい。まずこのFirst Loveの出だしのハスキーな声に彼の表現の幅を知ることになる。1年間、関ジャムでたくさんのアーティストとセッションを重ねたことにより得た曲に対する理解度と表現力。彼の歌声には表情が見える。「明日の今頃にはわたしはきっと泣いている あなたを想ってるんだろう」と歌う彼の声が優しくもあり切なくもあり。男性の高音が好きな私は、この曲での少し喉にかすみがかかったような、ろうそくのようなゆらめきの中に芯の通った力強さが隠れている高音がたまらない。

 

元気を出して。彼に応援されると、何にも負けないような気分になるのは何故だろうか。女性の話言葉がよく似合う彼の歌声が私を包みこんでくれる。フィンガースナップが刻むリズムは私を励ましてくれる。そう思えるぐらい感情に寄り添うような優しい曲。きっと私がこの先辛いことがあったらこの曲を思い出すんだろうなと思う。彼の歌声に慰めてもらうんだと思う。

 

またハスキーな声から始まる君がいないからは、切なさを含んだ声という点ではFirst Loveと同じであるが、この2つの曲で歌い方は変えられている。歌詞の内容的にも「会えない君を今も想っている」ということでこの2つは似たものがあるが、First Loveは女性目線、君がいないからは男性目線であると私は解釈している。君がいないからでは声は切ないものではあるが、地にしっかり足がついていると感じる。ゆらゆらと「新しい歌 うたえるまで」あなたを想うFirst Loveに対し、「愛だけしかない それしかないのに君がいないから」と言い切るこの曲をしっかりと表しているのだと思う。

 

私がこのアルバムで前から知っていた曲はスローバラードと言葉にできないだけであった。スローバラードも彼がカヴァーしていたから知ったので、これが初めて原曲を知っている状態で聞く彼のカヴァー。ここまで歌い手が違うと受け取るものも違うのかと驚いた。今までこの曲に対してはCMの影響もあって切ないイメージを抱いていたが、彼の言葉にできないは力強かった。一音一音はっきりと発するサビ部分は彼を波源として空気を震わせているようすが見えるかのようだ。あまりにも自分が持っていたイメージと違ったため本家を聞いてみたら、なるほど確かに本家も力強く芯を持った歌声だった。このアルバムは、原曲を綺麗にくみ取り、それをそのまま表現するのではなく自分もきちんと表現にのせられている。だからこのアルバムはカヴァーアルバムであり、紛れもなく渋谷すばるのソロ初アルバムなのだ。

 

このアルバムにおいてきっと中心にいるのはSWEET MEMORIESなのだろう。Mステでも披露されたこの曲は、一緒に共演した異国のアーティストの方の心も動かした。Aメロは控えめな分サビで爆発される感情の波。最後のサビに向かっていく熱量に何度目かの火傷を感じる。そんな熱を持った声で歌われるのは「失った夢だけが美しく見えるのは何故かしら」ということば。彼も、失った夢を美しく思っているのだろうか。彼の失った夢とはなんなのか。そんな事を考えてしまうぐらいに、この歌詞を歌う彼が揺らめく火のような儚さと力強さを持っていて。私はなぜか思い当たる思い出もないのに、最後のサビでこの歌詞を聞くと泣きそうになってしまう、それぐらい感情を揺さぶる声なのだ。

 

 

「嘘つくのは 上手じゃない」彼が、嘘偽りなく音楽への愛をこめて作られたアルバムが「歌」なのである。

去年のソロデビューの時とようすが全く変わって見えるのは、今回は味園ユニバースという映画を背負っていない、ポチ男でも茂雄でもなく「渋谷すばる」の音楽だからだろう。バンドメンバーと笑いながら音楽をする彼が楽しそうで、そんな彼が詰まったアルバムが発売される時にファンでいて本当によかったと思う。

たくさんの人に聞いてほしい。この曲が青春だった人たちに。この曲を歌っている人のファンの人たちに。カウコンのコンビ投票で1位に輝いた彼を見ていた人たちに。渋谷すばるはこんなにも音楽を愛す歌い手だということを知ってほしい。そんなことを思った。

 

公式サイトで視聴ができます。気になった方はぜひ。

www.infinity-r.jp

 

井ノ原快彦に失恋し続ける

 

我らがイノッチこと井ノ原快彦さんは、既婚ジャニーズである。07年9月28日、なんとVoyagerコン初日のMC内で発表。コンサート後に2人そろって記者会見をした。2人そろっての記者会見はジャニーズ初。

 

井ノ原さんは、私にとって所謂『リア恋枠』というところにいる。ジャニーズに対して「もし彼が〇〇だったら」で自分との関わりを妄想、つまるところ夢小説的妄想はあまりしない、するとしても「自分がジャニーズだったら」での関わりがほぼほぼである私が、井ノ原さんに対してだけは「結婚したい」という感情を抱いている。

井ノ原快彦と結婚したい。こう思い始めたのは確か去年の年末。岡田さんが信じて井ノ原さんにメールで祝福したという紅白司会決定かという新聞の記事が出たころ。まだ正式決定ではないにせよ有力候補として名が挙がっているだろうと考えると、急に井ノ原さんのことを誇らしく感じた。

NHKの朝の顔」として名高く、定期的にあさイチ内での発言が「イノッチいい人」エピソードとしてネットニュースになる。毎朝#あさイチはトレンド入りするので是非見てみてほしい。必ず誰かが「イノッチいい人だな」とつぶやいている。ジャニオタではなく、一般の方が。

友人に「友達の彼氏の写真を見せられ微妙だったとき、『イノッチみたいだね』と言ったらイコール優しそうな人となるからいいらしいよ」と恐らくソースがTwitterの話を聞かされたときはなんて失礼な話なんだと思ったが、それぐらい井ノ原さんが優しい人、いい人ということが世間に浸透しているのである。こんなにいいイメージで世間に浸透している、なんと誇らしいことか!

なのにV6で彼を見ると明らかにいい人ではないところが面白い。今朝のめざましテレビのように、20周年でのインタビューでメンバーから「今でこそいい人だけど昔は本当にひどかった」エピソードを何度聞いたことか。これがみんな大好きギャップ萌えとなって私に襲いかかったのである。私が井ノ原さんってこういう人だよなって最も感じるのは少年倶楽部プレミアム*1に出演した際のこの会話。

井ノ原「ジュニアで一番最年少として入ってたけど、それこそ坂本君も長野君も辞めちゃって、どんどん押し上げられてって、年齢も上になってきて、リーダーみたいな感じになってきたんですよ、ボクが」

太一「昔からいる人だぞみたいな」

井ノ原「うん、それでぇなんか振付とか位置とかもボクにちょっと権限があるみたいな。」「そしたらぁ~、長野君がふらっと戻ってきちゃうんだよ。そしたらもう、俺は後輩がいっぱいいるわけですよ。『井ノ原さん!』『イノッチさん!』『どうしたらいいんですか!』って言われるような立場なのに、長野くん帰ってきちゃったら困るわけですよ(笑)」

太一「なんで困っちゃうの長野くんが来たら(笑)」

井ノ原「いや俺がわりと築き上げてきたなかで、長野くんは元々先輩だから頭上がらないじゃないですか。難しいなってことで、長野くんにちょっと話して、『今までとちょっと立場も違うんでぇ、みんなと同じようにボクが仕切っちゃっていいっすか?』って」

太一「おお!長野君に言うわけ!そしたら長野くんは?」

井ノ原「『どうぞ~』って(笑)」

太一「いい人だ~~~いい人だね~~~~~~(笑)(笑)」

井ノ原「いい人なのよ長野くん!(笑)」

 いい人なのは長野くんだった。私の大好物は井ノ原さんのブイブイ言わせてた時に長野さん坂本さん帰ってきちゃったエピソードである。坂本さんには復帰してきたときは敬語だったが、長野さんは復帰した時コンサートの振りを一日かけてずっと教えたから自分が上なような気がして敬語使わなかったとか。あとデビューしてしばらくカミセンがCDジャケットの前に出ててトニセンが小さかったことを井ノ原さんは不満に思っていたけど、上2人はしょうがないと思っていたりとか。アイドルなら二人が帰ってきても「困った」なんて小物っぽい思考をしなさそうなものを、そういう漫画的でなく人間臭い感情を持ってる井ノ原さんが好きだ。

V6の中では年上組に入っているが、トニセンの中では一番下、それも長野さん坂本さんは学年で考えると1つしか変わらないのに長野さん井ノ原さんは4つ離れており、カミセンの一番上森田さんとの方が2つ違いで近い。そんなわけでトニセンの中にいると末っ子感が強い。「カリカリしたものは?」という質問に3人で答えを合わせるゲームで「ポテロング」と答え2人をヒーヒー笑わせたり、昔のあだ名が「よっちゃん」「おちびちゃん」だったり。おわかりですね、ギャップ萌えです。

 

そんなこんなで井ノ原さんへの愛がたまっているときに紅白司会を務めあげたのだ。それも「こんなに安定した司会はなかなかない」と言われるほどの絶賛。ディズニーメドレーでのミニーをエスコートする紳士っぷりにお色直しの度に目を奪われる足の長さ。惚れるしかない。きっとここから愛だったのだ。

 


 

でも井ノ原さん結婚してんだよな~~~~~~!!お子さんいらっしゃるんだよな~~~~~~~~~~!!!

 

 


現実は非情である。別にアイドルと結婚どころか知り合うことすらできない世界なのだ。だが井ノ原さんみたいな人と結婚したい、ではなく井ノ原さんと結婚したいと思ってしまっているのだこちとら。

だからネクジェネ*2でウッディの靴の裏には名前が書いてない話とか、日曜朝のレンジャーものの映画に詳しかったりとか、エンドロールでぐずる子供が見るような映画を見てたりとか、生活の話をするときに坂本さんが「井ノ原は」ではなく「井ノ原家では」っていつも言ってたりとか、そういう話を聞くたびに「おうふ…」と変な声がでるのである。OMSの観覧の時に左手の薬指に指輪をつけていたりとか、目情でお子さんと公園で遊んでいたりとかを聞くと、「そうだこの人家庭持ちだった」とダメージを受けるのだ。

しかし、ここまで私は「井ノ原さんと結婚したい」と思うのは「井ノ原さんが結婚している」という事実があるからであるという大きな矛盾。他の誰よりも旦那さんとしてのアイドルを想像しやすいのだ。だってそれは妄想ではなく現実だから。上記の家庭持ちエピソードを知ったとき、ダメージを受けると同時に「いい旦那さんだな」と思うのだ。だから「結婚したい」なんて思ってしまうのだ。罪な男だ!

そして私がオタクしてて一番好きな人たちに思う事は「幸せになってほしい」である。私たちに幸せをたくさんくれる彼らが一番幸せであってほしい。だから男として、家庭を持つ「幸せ」を得ている井ノ原さんは、私にとっての「幸せ」でもあるのだ。

その「幸せ」をオープンに話すことをできなくさせているのは私みたいなファンだろう。それを考えると申し訳ない気持ちでたまらなくなるし、そんな思考の自分の首をだれかはねてほしいと思う。でも結局私は「結婚している」井ノ原さんが好きなのであって、「結婚している」からこそ生まれるエピソードにダメージを受けるとともに「結婚したい」と思うのだ。だからダメージを受けるとわかりつつも井ノ原さんの「パパドル」なるところをもっと見たい。とんだドMである。なんと幸運なことに、私たちにはラブセンというゲームがある。井ノ原さんと疑似恋愛を公式に許されている。だから私の欲求は背徳感と共にではあるがそこである程度満たすことができる。安心してください、無課金でもそれなりに楽しめますよ。そういった意味でジャニーズが乙女ゲームを出すのはかなり有用なのではないか…?

 

私はアイドルに対する思いは「性欲のない恋愛感情」だと思っている。人を好きになること、それは「恋をしている」と言っていいのではないか。特別な関係を望まなくとも、あなたの事が好きで、あなたに会うときに精一杯おしゃれして、一言一言に一喜一憂したりする私は紛れもなく恋しているのだ。

 

毎朝、時間の余裕がなくたった5分しか見れないあさイチを見て始まる一日が私は好きだ。井ノ原快彦に永遠に失恋する毎日が楽しいのだ。だから私は今日も、井ノ原快彦に失恋し続ける。

 

 

 

 

あー井ノ原さんと結婚したい。

 

 

*1:09年2月15日

*2:Next Generation。トニセンの3人がパーソナリティを務めるラジオ。

27年度∞誕生日まとめ

 

平成27年度の関ジャニ∞メンバー誕生日記事が全員分集まったのでまとめます。いつもおすばるくんとばかり言ってるので、他メンバーについてじっくり考える機会になってよかった。今見返すと何言ってんだコイツと思うところが多いですが、当時の記録として。

 

 

sausgkj8.hatenablog.com

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村上さんおめでとう

村上信五さん、お誕生日おめでとうございます。

 

 

やはりす担的には、15年の村上さんは「乾いた花」の印象が。アルバム発売の発表と共に村上&渋谷、通称松原.*1がユニットを組むことがわかり、アルバム詳細発表で人気の高い「乾いた花」が収録されることがわかり、ずっと興奮してました。ライブで生で初めて聞きたいと思ってましたが、誘惑に耐え切れず聞いてしまい、聞きながら自分の体温が上がっていったことを鮮明に覚えています。ジュニア時代、地元が近くで一緒に仕事場に行ったり、互いに家出の計画を立てたり、花火投げ込んで逃げたり。冬に裸にオーバーオールで「寒くない!」と言ってた彼が万人規模のお客さんがいるドームでビシッとスーツ風衣装を着てピアノ弾いてるんですよ。親友と一緒に。これ誰かの妄想じゃなくて現実なんですよね。「今は泣かせておくれ」ってこちらが言いたい。

 

「「感動」はすばるの歌やから。9割9分すばる。僕は0.1ほど影響してない。とりあえずすばるの歌を邪魔したあかんと思って。僕は一心不乱にやっただけですよ」

村上信五の週刊!関ジャニ通信

 こんなことを先日ラジオで言ってたみたいですが、それは違いますよと声を大にして言いたい。渋谷さん一人だったら、村上さん一人だったらこんなにオタクの心を揺さぶってない。ガキんちょの時から一緒だった2人が18年近く経っても一緒にステージに立ってるからアツいんだよ。もちろんオタクが感動してるのはそれだけじゃなくて、ピアノのことだったりもあるけど。

 

村上さんは他メンバーと比べて音楽に対する熱量は少ないと思ってます。それでもずっとキーボードを続けてるということが「村上信五」という人間を表している気がします。自分も聞くことは好きだけど演奏することに関してはあまり得意ではなくて。周りがモチベーション高いと、それに対して低い自分がその場にいるのが辛い。だからなんとなく、村上さんの立場はキツくないのかなと思ってしまいます。でも村上信五という人間はキツいとか言う前に努力するような人だろうなと思います。やることはきちんとやる人。メンバーの足引っ張らないようにと忙しいスケジュールの中演奏をこなしていくところが仕事人でカッコイイ。

パブリックイメージと反して実はアイドルとしての意識が高く、泥臭いところ、プライベートなところを隠す村上さんの無言の美に、私は「侍」を感じます。

 

そんな侍・村上信五さん!16年はますます忙しくなるんだろうなと勝手に思ってます。エイトで一番の仕事持ちで、外交役。たよりにしてまっせ!お誕生日おめでとう!!

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*1:松原かずひろ.